日本将棋連盟の奨励会三段リーグに所属する荒木三段が、今、大きなチャンスを迎えている。
と言っても、かなりの将棋ファンじゃないと、いったい誰のことやら?だろう。
荒木宣貴三段は米長邦雄門下の23歳。
これまで、三段リーグではたいした成績をあげておらず、地味な存在だった。
あともうひと伸びがなければ、じきに26歳を迎えてしまい、規定により奨励会を退会してしまう1人なのかなあと思っていた。
しかし、今期第45回奨励会三段リーグ戦では、あと3戦を残して10勝5敗と、(順位は悪いが)もしかしたら昇段?というところまで来ているのだ。
私が荒木三段に注目しているのは、彼がNHK教育の日曜午前10時20分から始まる「NHK杯将棋トーナメント」の記録係として(私が一方的に)顔なじみだからだ。
他にも記録係はいるが、荒木三段は私にとって傑出して印象的だ。
私のマンガの「榎田君」(メチャクチャ頭がいいのだが、驚異のこだわり人間)にそっくりなのだ。
外見もそうだが、性格がまさにエノキダ的。
彼は、それが幸いしてか、将棋も(三段まで来るくらいだから)強いが、記録係としてもこれ以上ないくらい優秀だ。
対局する2人の棋士の横には、棋士の方を向いて荒木三段と棋譜読み上げ係の女流棋士が座っていて、棋士と係の間には長いテーブルがあり、その上に対局時計が載っている。
対局開始が告げられ、棋士同士が互いにお辞儀をした直後、荒木三段の右手が大げさに宙を舞って対局時計に伸びる。
カシャッ
と大きな音を立てて、時計上部のスタートスイッチが押される。
スイッチを押した手が反動で跳ね上がるようにまた上に舞う。
番組中、終始無表情で、とても地味そうな彼がこのオーバーアクションをするのは、対局者に「時計を動かし始めましたよ。初手を指しても大丈夫ですよ」と知らせるためだ、と思う。
初手を指す際、多くの棋士は盤面の方を見つめて集中しているので、棋士の耳にスイッチ音を届けるとともに、棋士の視界の片隅にスイッチを押した自分の手を入れたいのだろう。
そこからもすごい。
対局時計の表側は、持ち時間15分ずつの経過具合を棋士に見せるため、当然棋士側を向いている。
しかし、荒木三段は必ず1回は時計をひっくり返して、針がちゃんと動いているかどうか確認するのだ。
そして、持ち時間が切れて、1分×10回の考慮時間もなくなると、いよいよ1手30秒の秒読み。
ここから荒木三段の人間らしさが表に出てくる。
普通の棋戦は持ち時間が切れると1手1分なのだが、早指し戦の30秒というのはプロでも相当短く感じられるらしい。
だから、「9」直前まで考えてあわてて指す棋士も多い。
荒木三段が発する「9」はすごく気持ちが出ている。
「8」までは機械のように淡々と読むのだが、ギリギリで指す時の「9」は力が入る。
「やめてくださいよ、もう。胃がキューッと縮むじゃないですか、キューッと」の「キューッ」なのだ。
棋士の負けが確定する「10」を読ませたら彼はどうなってしまうのだろう。
そして、私が一番注目しているのは、冒頭に書いたように彼の四段昇段、つまりプロ棋士昇格だ。
現在12勝3敗とかならブログで採り上げるのはやめようと思っていた。
ここから意識し過ぎて最後にポロポロッと落として昇段を逃す三段をたくさん見てきたから。
だが、現況は、開き直って3連勝が最低条件、後は運待ちって感じなので書いてみた。
私がブログで採り上げさせていただいた竜王戦の渡辺竜王やフリクラ突破間近の瀬川四段は、私の希望通り、逆転4連勝で永世竜王獲得・順位戦棋士昇格を果たしている。
言わば、私の勝手なゲンかつぎだ。
荒木三段が晴れて四段に昇格したあかつきには、私はぜひとも彼がNHK杯の予選を突破してテレビ中継のある本戦へと進んでくれることを念願している。
対局者はどちらかが投了を告げるとお互いにお辞儀をする。
そしてその直後に読み上げ係が「まで。○○○手で△△七段の勝ちでございます」とか言い、対局者に向かって深々と一礼する。
その際、棋士の方は対局者同士向き合ったままで、記録・読み上げ係の方には一瞥もくれない。
だが、荒木四段だけはきっと、体をしっかり2人の係の方に向き直し、深々と心を込めてお辞儀を返すに違いない。
私はその瞬間を観たら泣くかもしれない。