尖閣問題におけるエセ相対主義者
尖閣諸島に関して領土問題は存在しない。
私はこの考え方を支持している。
理由は日本という国家システムの恩恵を受けて生きている日本人だから。
でも、中には、中国は領有権を主張しているのだから(という理由だけで)、これは客観的に見れば領土問題は存在していると言うべきだ、と言う人もいる。
でも、そんなことを言い出したら、例えば中国が「九州は中国の領土である」と言い出した瞬間から、九州に関して中国と日本の間に領土問題が発生してしまうことになる。
私はこういう人はエセ相対主義者、エセ客観主義者だと思う。
そういう立場に立つのだったら、純粋に学者として情報収集をして、十分な根拠を示してからやるべきだ。
中国の言い分、日本の言い分、その論拠となる文献等々、徹底研究してから学問的主張として展開すべき。
ごくごく普通に日本人として判断するなら、尖閣諸島は歴史的な資料で見る限り、最初に日本人が住み着いて多数が長年生活の場とした島であり、現代の国際法の理念に則って、国家として領有権を最初に主張したのは日本である。
第二次大戦に負けて日本は尖閣諸島も含めてアメリカに占領されたが、その際に中国は一切領有権を主張していないし、その後、日本に返還される際にも中国は何も言わなかった。
ところが、1970年頃になって、近海に油田がありそうとの情報が出てきて、初めて中国が領有権を主張し始めた。
でっかい油田のようだし、中国の国家システムの恩恵を受ける中国人がそれを支持するのはわかる。
自分達の利益につながるのだから。
だが、日本人の中に、中国人の立場に立ってものを言ったり、上記のようなエセ相対主義の立場を取る人がいるのが私には理解できない。
もしかして、自分はあらゆる国家の束縛から自由な個人であり、地球市民 だとか思っているのだろうか。
国境なんて、国家なんて、無意味だ、害悪だ。
私達は自由な個人。1人1人、個人の尊厳と人権を有する自由で純粋な個人なんだ、と信じているのだろうか。
それは現代の新興宗教と何も変わらない。
新しく作った考え方を盲目的に信じ込んでいるという意味で。
彼らは「社会」よりも「個人」の方が先立つと思い込んでいる。
だが、実際には、「社会」は紀元前から存在したが、「個人」が発明されたのは近代以降だ。
「自由」も「人権」もそうである。
とても便利で有効な概念だと私も思うし、うまく使えれば確かに世界平和に役立つと思うが、それはあくまで我々が便宜上作り上げた道具であり方便であるとわかっていて使う場合である。
信仰してしまったら、それを守るため、普及させる(押しつける)ための戦争が起こるだろう。
アメリカがやっているみたいに。
それぞれの国家の、国家としての尊厳、国家としてのアイデンティティーを堂々と主張せずして、そこに属する個々人がどうやって生きていけるというのだ。
日本はもちろん、イスラム教圏の国々にも、キリスト教圏の国々にも、他のいろんな宗教、思想の国々にも、そして当然中国にも、それぞれが寄って立つ国家としての思想とそれに基づく国家システムがある。
国民は国家の利害に基づいてものを言っていいのだ。
そして、それを反映してくれるような外交力のある政府を自分達で選ぶべきだ。
繰り返すが、学者は何を言ってもいい。学問は全てを超越して思考がなされるべきだから。
だが、そのためには徹底した情報分析とその提示が必要で、そんな努力を何もやっていない者がブログやツイッターで地球市民的相対主義者を気取るのは愚かとしか言いようがない。
中国人の立場でものを言う日本人などは論外である。
その時点での多数意見に脊椎反射的に反対したいだけの単なる天の邪鬼と言われても仕方がないだろう。
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