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あいちトリエンナーレ ロボット演劇を観にいってきた

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あいちトリエンナーレ、ロボット版『森の奥』【世界初演】を観にいってきた。
(写真は、出番を待つロボットのヨシエとイチロー。たしか、手前がヨシエ。「ヨシエ」は平田オリザ氏が私のマンガ『よしえサン』から採ったネーミングだそうな。)

最初に書いておくが、とにかく面白い。
まだ、明日(23日)とあさって(24日)計3回の公演があるので、お時間のある人はぜひ観にいって下さい。
これは観ておかないと損です。
チケットはこちらから。→http://aichitriennale.jp/tickets/

なにしろ、まず、脚本の内容が濃い。
「人間って何?どこからが人間?生き物の尊厳って何?」と考えさせられてしまう。

当然、演出もすごい。それを緻密にやってのける演者も皆魅力的。
ロボットの人格表現も計算され尽くされている。

会話における微妙な感情表現が秀逸で、仕草、表情(ロボットにはないが)、口調などが極めて自然だ。
自然だから、話がスムーズに観客の脳に入ってくる。
これにはよほど周到に計算された演出が必要だと思った。

しかし、平田オリザ氏の演出は、厳密には「計算」というのとはちょっと違う。

「計算」というのは、緻密で膨大な統計分析をやって、その結果としてこのような表現、というアプローチの仕方。

しかし、平田氏の場合は、場面場面の表情、仕草、口調、間(ま)などを直観的に知っていて、それを演出する。
つまり、彼は人間をよく知っているのだ。

彼はこの優れたアーチストだけが持つ能力を、今回のロボット演劇で協力関係にある大阪大学の石黒教授のロボット研究に還元しているという。

ロボットを人間に近づけていくためには、人間工学や認知心理学などを通じて、膨大な統計データから分析、類推していくのが従来の人工知能研究のアプローチ法だったが、石黒氏は平田氏と組むことによって、平田氏のアーチスト的な直観による人間像の情報を得て、それにロボットを合わせていく手法を得たようだ。

なんていうか、こういうのって、文系理系を超えた人間的な直観がまず究極にあって、サイエンスも基本はそこにあるんじゃないかと思わせられる。
テクノロジーのほうはそれに引っ張り回されるわけで、技術者は大変だと思うが。

今回、平田さんから終演後のアフタートークの相手にご指名をいただき、いろいろと興味深い話を聞くことができた。
石黒教授は相当に面白そうな人物のようだ。
私が受けた石黒氏のイメージに関しては、来月末発売の『よしえサン日記』に勝手にキャラを作って描いてみようと思っている。
マンガじゃないと表現できないキャラだと思ったからだ。

それから最後に照明についても感想を。
岩城保氏の照明は派手さがないからなかなかすごさに気づかないが、これもまたあまりにも自然なのだ。
演劇空間と客席空間が分かれていながら一体化しているあの照明空間の独特な魅力は、何回か観に行くうちにじわじわと感じるものなのかもしれない。
今回も照明のおかげでしっかり劇の鑑賞にのめり込めた。
ここにも、人間的直観とそれに基づく緻密な計算を感じた次第である。

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