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佐藤秀峰さんの質問コーナーへの疑問

今日、マンガ家の佐藤秀峰さんの日記に「質​問​コ​ー​ナ​ー​  ​第​2​9​回」がアップされた。
いつも興味深く読ませていただいているのだが、中には「ん?それは違うんじゃ……」と思ってしまう回答もある。

あのやり取りだけだと、多くの読者が佐藤さんの一方的な視点だけでマンガ家と出版社・編集者の関係を見てしまい、誤解が固定してしまうおそれがあるので、同業者として別の視点から異論を述べておこうと思う。
(以下、引用部は青字。)

Q.「新ブラよろ」9巻の表紙の件ですが、佐藤社長が描くのではなく、漫画onWeb及び、佐藤秀峰の作品が好きだというすべての人に、表紙を描いていただくっていうのはいかがでしょうか?
〜(中略)〜
9巻の表紙が白紙で発刊されるよりは、漫画onWeb及び、佐藤秀峰を応援したいっていうみんなの気持ちが詰まっている寄せ書きみたいな感じで良いかな?って思います。

A.単行本は出版社の商品なので、まず出版社がそのようなことはしないでしょう。
〜(中略)
「漫画onWeb及び、佐藤秀峰を応援したいっていうみんなの気持ちが詰まっている寄せ書き」を、出版社がカバーとして採用するかと言えば、しないと思います。
彼らにメリットがないので。

これはちょっと、佐藤さんの詭弁という感が否めない。

読者の寄せ書きみたいなものをコミックスの表紙には使えない理由は単純で、それじゃ売れないからだ。

寄せ書きしてくれる読者が横尾忠則とヒロヤマガタと千住博の3人とかだったら(しかもタダか格安だったら)、編集はよろこんで使うはず。

「(佐藤シンパの一般読者たちの寄せ書きでは)彼ら(編集)にメリットがない」と佐藤さんは断じているが、断じることができるのは、実は佐藤さん自身も「そんなのじゃ売れない」と思っているからではないだろうか。

佐藤さんはご自身と編集のこじれにこじれた関係からマンガ業界を語ってしまいがちで、上記のQ&Aを読んだだけだと、読者はコミックスの表紙というものは編集主導で全てが決まると思い込んでしまうだろう。
そして、それを覆すには佐藤さんくらいの反逆(白紙の表紙でコミックスを出す)を断行しないとダメなのだ、と。

でも、それは違う。
コミックスの表紙のような、作者にとって自分のアイデンティティにも関わるすごく大事なものは、原稿を描く際のネームと同じく、作者と編集がそれぞれの思いを相当に主張し合い、反映している場合がほとんどだと思う。

私自身がずっとそうしてきたし、私が25年のマンガ家生活の中で聞いてきた他のマンガ家さんたちの事例もそうである。
マンガ家は皆、自分のコミックスのカバー絵や装丁にものすごくこだわっていて、自分の意志をかなり反映させているのである。

結局のところ、より良い表紙ができる決め手はマンガ家と編集者の良好な関係ではないだろうか。
これがダメだと、どっちかがどっちかに押しつけるような形でしか何も進まないのである(私自身、自分の傲慢さから進行を滞らせた経験がある)。

上で私が挙げた3人の有名画家の例にしても、もしそれが編集者の方のツテで描いてもらえるとしたらどうだろう。
マンガ家と良好な関係の編集者なら、仮にそれで売れ行きが伸びそうでもやめておくだろう。

だって、作者の本は作者がイラストを描くのが作者のプライドだと知っているから。
作者のアイデンティティに踏み入ってでも著名画家の絵を使って売るんだ、出版社の商品なんだぞ、などと言うバカ編集者はまずいない。
よほど作者との関係がこじれていれば、嫌がらせにそうする可能性はあるかもしれないが。

Q.佐藤様は、紙には興味がなくなったとのことですが、これからは編集者なしでや
っていくつもりなのでしょうか?

A.編集者なしでやっていくつもりです。
〜(中略)〜
病院や研究機関などの取材も、粘り強く交渉すれば、一漫画家であっても、相手にしていただけますし、出版社にしかできない取材というのはないですね。
編集さんに取材を組んでもらって出かけることは簡単ですけど、簡単にたどり着いた取材で得るものは少ないです。

ここにも大いに違和感を持った。

編集者なしでやっていくのは自由だ。ここには特に異論はない。
だが、取材に関しての見解は違うなと思った。

良い取材ができて有用な情報を十分に得るコツは、単に自分で粘り強くやることではない。

取材の前にそもそも、対象に強い興味や問題意識を持ち、自分一人のレベルでも相当のめり込んで勉強していることがまず大事である。
知りたくて知りたくしょうがないというくらいに。

その上で、得たい情報の範囲を絞り込み、的確に質問や疑問を整理しておく。
そしたら後は編集者に頼んだ方が早いのだ。
特に大出版社だと話が早い。
マンガ家個人が時間と労力を費やすのはムダが多すぎる。
そんな暇があったらより良いネームや作画の作業に使いたい。
取材はストレスだってハンパない。

旅行記だとか体験ルポ、潜入ルポなどは別である。
その場合は一から自分がやったほうがいい。
取材で苦労すればするほど中身は濃くなり、マンガは面白くなるだろう。
『ブラックジャックによろしく』にしても、作者自身が医療関係者で実体験を描くならば、またさらにリアリティーが増すだろう。

だが、作者が作り手に徹する類いの作品ならば、前述したような取材目的の絞り込みを行い、相棒の担当編集者に頼んだ方がよほど良い取材ができるだろう。
彼らはそっちの方のプロなのである。

私のモーニング時代のある担当さんは警察関係の取材に長けていた。
業界関係者を通じてのツテもあったようで、いろいろ現場から聞き出せていたようだ。
私ではなく別のマンガ家さんの作品だったが、それは見事にヒットしてドラマ化もされた。
マンガ家だけで全部やっていたら成り立たなかった作品だと思う。

私の作品の場合で言えば、「ちまたの実在〜ネタ」とか「エノキダ」を描いていた時代の担当さんたちなどには特にお世話になった。
彼らが持ってきてくれるネタ、話してくれる自分のエピソード等に毎週どれだけ救われたことか。

A.「どんな編集者が良い編集者か?」というご質問は、「編集者というのは、もしかしたら存在しなくてもよい職業かもしれない」という想像力を持った上で、「だとしたら、何ができるだろうか?」を考えられる人ですかね?

もうこんな私怨から出版社に当てつけるだけの発言はやめたほうがいいとつくづく思う。

そもそも、最初から自分一人だけでマンガ家になってマンガで生活できるようになった人がどれくらいいるだろうか。
絶対的な天才で、自分さえその気になればどこの出版社からでもデビュー可能で、1人で描いて必然のようにバカスカ売りまくることができた人。
そんなのおそらく1人としていないのでは。

マンガ家がいなけりゃマンガ編集者も不要、でもマンガ編集者がいなけりゃマンガ家も生まれてなかった。
つまりは相互補完的な二つで一つの関係だろう。

出版社・編集者とマンガ家が何十年もかけて築いてきたマンガ業界、マンガ文化。
それが生み出し蓄積してきた膨大なマンガ読者層。
この下地を無視して、「編集者がいなくてもマンガ家さえいればマンガは描ける」などと言うのはあまりにも傲慢だと思う。

漫画onWebオープン間際まで拙著『小学校の先生よっ』(過去にBE LOVEで連載)の原稿を出展させていただこうと思い、せっせとスキャンしてゴミ取り作業をしてたんだけど、今のままじゃ怖くてとても参加できないよ。

やってることは意欲的、先駆的ですごいのだから、逆にその分、態度は十二分に謙虚であるべきではないだろうか。
そうすれば人望がついてきて、サイトはぐんぐん伸びるはずだ。

いろいろ苦言言ってるけど、応援してるんだからねっ。

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