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コミックスの表紙を白紙で出していいのか

コミックスのカバーイラストに原稿料が出ないことに納得がいかず、表紙を白紙で出すことにしたと佐藤秀峰さんが自サイトの日記で書いている。

実は私もマンガ家になって最初の単行本(『気分は形而上』第1巻)を出してもらった時、カバーイラストの原稿料がなかなか入金されないので、何かの手違いかと思い、当時の担当さんに確認したことがある。

「あ、コミックスのカバーイラストには原稿料は発生しないんですよ」という答えが返ってきた。

駆け出しとは言え、一応プロのマンガ家が手間暇かけて描いたものに原稿料が発生しないということに、すぐさま納得はいかなかった。
本誌に載せるちょっとしたカット絵にも原稿料は発生していたから。
次号予告用にキャラのバストアップだけ描いて(背景なし)5000円とかもらっていた。

でも、コミックスが出て、それを手にした時、そんなことはどうでもよくなっていた。
だって、それは間違いなく「私が出した本」であり「私の分身」だったから。
「我が子」のために一生懸命カバー絵を描いてよかったと心底思った。

佐藤さんにとっては、出版社から出すコミックスは完全な「出版社の商品」なのだそうだ。
だから、それにカバーイラストを描いてあげた作家に対して原稿料が発生して当たり前だと。

理解はできる。
本当にそのようにコミックスを捉えているのなら。

しかし、マンガ家にとってコミックスといえば、自分がキャラを作り出し、話を考え、絵を描いて、それをまとめて出来上がったものである。

自分が作ったものではない単なる「出版社の商品」のカバーイラストなら、原稿料が発生しないとおかしいだろう。
発生しないなら全くのタダ働きである。
佐藤さんは自著に対してそのような捉え方なのだろうか。

私にとっては、自分の子供の服を自分がデザインして作るという感覚である。
雑誌に載せるために描く原稿も毎回そういう感覚で作っている。
それに対価が発生するということに、いまだに喜びがある。
好きなことをしているのに、そのことでお金がもらえて生活できる、奇跡的なことじゃないの、これ、という感覚がいまだにある。

私の場合、あの時あの原稿があの編集者とあの編集長に見てもらえてあの頃の時代と読者に受け入れてもらえた、という千載一遇のタイミングというか運に恵まれてデビューできたので、そのような感覚になるのだろうか。

だが、どんな大作家も、手塚治虫(や他の大御所たち)でさえも、自分の力だけではマンガ家にはなれていないはずだ。
出版社の力は大きい。特に全国的な宣伝力、伝播力。
したがって、出版社の取り分も大きい。
手塚治虫(や他の大御所たち)と出版社の取り分はトータルで見て2対8くらいではないだろうか。

しかし仮に、漫画界の黎明〜発展〜隆盛期において、両者の取り分が1対1だったとしたら、はたして今のマンガ界は存在するだろうか。
大御所たちがもたらした利益によって出版社は大きくなっていき、後進のマンガ家たちが育てられてきたのではないだろうか。

1つの作品で数億〜数十億と儲けるマンガ家さんたちは、出版社と1対1の関係で自分個人だけの利益を追わず、マンガ界全体のことを考えてほしいものである。

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