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佐藤秀峰さんにレスポンスをいただいた

先日、佐藤秀峰さんの「紙原稿のデータ化講座」にツッコミを入れるようなエントリーをアップしたところ、佐藤さんの日記で丁寧な反応をいただいた。
私がずけずけと疑問を羅列したにも関わらず、参考になったと言っていただき、恐縮&感謝しています。

また、一色登希彦さんのブログでも採り上げていただいた。
こちらにも感謝です。

佐藤さんは私の『気分は形而上』を読んでおられたようで、その「面白さ」についても佐藤さんの言葉で表現していただいており、面白いと言っていただけたことに感謝するとともに、私と制作姿勢が基本部分で似ているのかもという感じを持った。

おそらく、佐藤さんご自身も、世の中の事象を、まずは別の(つまりは自分の)角度・視点から見ないと気が済まないタイプなのだろう。

最近、つくづく思うのだが、4コママンガの場合は、世の中を素直に見て描写し、最後のオチで一ひねり、というのがマンガ家として長生きする秘訣のようだ。

いや、今の萌え4コマ全盛の時代においては、最後の一ひねりすら不必要かもしれない。
魅力的な絵で、若者の世界に漂うニュアンスをなるべくそのままの形で切り取ることで生じる「あるある」感をいかに連発できるか、それが最優先ではないだろうか。

私の場合は1コマ目からひねりを入れてしまう。
最初から素直に世の中を見ることができないのだ。
そして、そこから無理やりまたひねってオチをつけて、辻褄を合わせて現実(らしきもの)に戻す。

例えばこのブログの左側にある「オンラインコミック」のRenta! - 『非存在病理学入門』1〜4巻をクリックして1巻の立ち読みをしていただくと最初に出てくる「机の角を削る課長」のマンガなどがそうだ。

一時期大流行りしたいわゆる「不条理」4コマとも違う。
不条理4コマの場合はひねった世界観をそのまま押し通す。
全コマ通じて変な世界観を描写すればオッケー。

だが、私の場合は一度ひねくれた見方をしておいて、その上で論理的整合性を無理やりつけてまとめないと気が済まない。

ひねったのを戻すのではなく、ひねったままで強引に辻褄を合わすので、素直な現実には全く合流せず、異世界のままだ。
だから「あるある」感など出ない。

また、不条理4コマのようなある種の洗練されたギャグ的「粋」(これがわかる人は時代の先端を行ってる、みたいな一種の芸術的な先進性)も出ない。

私のようなマンガは、私の暑苦しい個性を好きになってくれる奇特な読者だけが金を出して買ってくれる。

元々私はそういう路線をめざしていた……というのは強がりである。

圧倒的に画力が低いので、例えば私が尊敬してやまない谷岡ヤスジ先生や田村信先生、いがらしみきお先生といった本当の天才達のように変な世界をマイペースで提示する度胸は到底なく、変な世界は提示したものの、そこからもう一度がんばってオチをつけるのである。

かくして、ひねってしかもオチをつけるという奇妙な(ムダな?)二重構造が生まれ、逆にそれがそれなりの個性となって、私は『気分は形而上』や『非存在病理学入門』をそこそこ売ることができた。

佐藤さんの場合はストーリーマンガであり、社会に一石を投じるようなジャーナリスティックな作風なので、上記のようなギャグマンガの構造とはまた違うのであろうが、かなり強引に佐藤さんの視点からその世界に入り、佐藤さんの価値観でキャラの行動原理やストーリーに整合性をつけていくところは、私と似たところがあるのでは、などと、佐藤さんにとってはおそらく迷惑な分析を勝手にしてしまう。

佐藤さんの場合は圧倒的な画力と、コマ運びや構図で魅せていくネーム力があるので、そんな危険な方法論は採らなくてもいいのでは、などと老婆心ながら思うのだが、これは余計なおせっかいだろう。

なにしろお互いがんばりましょう。
我を貫き通す人間は、必ず最後に笑えるのです。

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