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2009年10月

マンガ出版界の大政奉還?何、それ?

きのう、「たけくまメモ」に雑誌が“休刊”するときというエントリーがアップされ、その中に、

しかし、現在の社員配置は“紙”に特化した人たちで占められていますので、「電子メディア進出」が、今後どこまで成功するかは未知数です。

という見解が入っていた。

「現在の社員配置は“紙”に特化した人たちで占められて」いるというのはどのような状態なのだろう。
エントリーは小学館の話のようなので、私には具体的なことがわからないが、そもそも、竹熊さんは小学館の電子メディアに自分の作品を連載ないし掲載され、編集と打ち合わせをした経験があるのだろうか。
経験があるとすれば、小学館では「紙」と「電子」で編集作業に根本的な違いがあって、それをつぶさに作家として見知って今回のエントリーを書いたのだろうか。

私の経験で言えば、講談社の「MiChao!(ミチャオ)」の「ピテカントロプス」で『けつちゃん』を1年間ほど連載していたのだが、編集者の作業はと言えば、それまでの紙の雑誌における作業とほとんど変わりはなかった。

担当さんとは何度も名古屋と東京で会って打ち合わせをしており、作業工程もいろいろ聞いていたので間違いはない。

大筋のネタ打ち合わせをして、私がネーム(下描きに近い絵コンテ)を見せ、直しがあれば直し(ボツならボツになり)、通ったら原稿を完成させて送る。
ここまで、「紙」の時と何も変わらない。

原稿はデジタル化していて、メールで送ったりするわけだが、それはすでに、紙の雑誌であるコミックボンボンの『ゴキちゃん』の連載の時点から私自身が移行していたことだ。

作業工程の違いと言えば、完成原稿を受け取った担当編集者が、紙の雑誌の場合は印刷所に入稿するが、ネット雑誌の場合はネット配信作業の会社(講談社はビットウエイだったかな)に入稿するという、ただこの違いだけだ。

もちろん、何かトラブルが起こった場合のために、配信作業会社がどんな作業をするのかある程度わかっている(ネット関係にそこそこ詳しい)編集者がいなければならないのは確かだが、編集部に1〜2名いれば十分であり(行程を理解すれば十分で、プログラミング技術だの、深い専門性はいらない)、それはすでに各出版社は確保しているだろう。

まあ、中には、マンガ家から圧縮されて送られてきたデジタルデータを解凍する方法がわからなくて困る編集者とかがたまにいるけども、それはちょっと聞いて憶えれば済むことだ。
「紙に特化」していて全く対応不可能な化石のような編集者なんかまずいない。
仮にいたとしても、その手の作業だけ、わかる人に任せればいいのだ。
面白いマンガ作品を生み出す行程は今までと何も変わらないのである。

もしかして、竹熊さんはネット配信の場合、サイトに作品をアップしたり、そのための加工や画像変換作業、メンテ作業といったような、IT技術者がやるような作業を担当編集者がやらねばならないと思っておられるのだろうか。
あるいは、小学館では編集者がその手の作業まで担わねばならないシステムなのだろうか。

なんか、私には、竹熊さんが、紙メディアから電子メディアに移行するのはとてつもない大変化だと喧伝したがっているように見えて仕方がない。
最近は「大政奉還」という言葉も使っておられるようだし。

でも、私から言わせてもらえば、そんなもの、たいした変化には見えない。
単に、紙が電子に、メディア(媒体)が移行していくだけのことだ。
出版社が主導して、編集者とマンガ家が組んで、お金の取れる面白い作品を生み出して売っていくという、商業出版のシステム自体は何も変わらない。

鳩山恐慌で不況がひどくなって、大手出版社同士が合併なんてことも、あるいは起こりえるのかもしれない。
だが、それでもこれまでのマンガ出版のシステムは不変だろう。
本物の面白いマンガは商業出版システムでなければコンスタントに生み出し続けられないことは、プロなら自明のことである。

送り手が出版社から全く別のもの(個人?)に「大政奉還」されるなんてことは原理的に永遠にあり得ないのだ。

なんか、竹熊さんの見解を見ていると、これから起こりそうな状況にちょっとだけかするようなことを思わせぶりに書いて、いかにも近未来を予言したふうに見せかけているだけのように感じてしょうがないのである。

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「本ゆ」150号記念プレゼント!

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今月30日発売の「本当にあったゆかいな話」11月号は創刊から150号目の記念号。\(^=^)/おめでとー!!
特別企画として、連載作家陣の愛用品プレゼントが!

で、担当さんから「何か送って」と言われ、私ははたと困った。
実は私は物が手放せないやつなのだ。

もう、大昔の学生時代に使っていたフライパンとかコタツとかテレビとか、全然使えなくなっているのに捨てられない。
なんて言うか、物にタマシイみたいなのを感じてしまい、手放すのに強い抵抗が……。
言霊(ことだま)ならぬ物霊(ものだま)?

てなわけで、愛用品ともなるとますます手放すのは困難で、いったい何を送ればいいのかかなり悩んだ。

結局、選んだのは『よしえサン日記』第3巻のカバー見本。

単行本を出す際、まず私がカバー用イラストを描き、それをデザイナーさんがデザインしてカバーが出来上がる。
作業行程で、2回、見本校が出てくる。
初校と再校。
初校を点検して、色の具合やら、ここはこうしてほしいといった希望やらを担当さんに伝え、直していただき、再校で確認。
必要ならもう一度直し部分を伝えて最終校となる。

その初校分をプレゼント用に送ることにした。
帯やら、中のカラーページやらの初校も一式全部入れてある。

初校なので、店頭で売られている『よしえサン日記』第3巻のカバーとはいくつか違っている部分がある。
著者近影で使った「唐沢の滝」の写真とかは全然変わった。
多分、初校はこれ以外には存在していないと思うので、わたし的にはけっこうな逸品ではないかと自負している(笑)。
もちろん、サインも入れさせていただいた。

今月号の「本ゆ」はいつもに増してお勧め!
ぜひぜひお買い求め下さい。

プレゼントは、ヤフオクとかで売ったりしない人の手に渡ることを祈っております(笑)。

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「ズキュン12月号」投稿ネタ大募集!

「本当にあった」系の新雑誌「ズキュン12月号」 (11月14日発売)でマンガを描くことになりました。
例によって、皆様にネタの投稿をお願いいたします。

テーマは「政治家」 です。
政治家や議員のウラ話や、地域ネタなどなど、政治にまつわる話ならなんでもOK。
皆さんがご自身で体験したり、人から聞いたりした政治家・政治関連の投稿ネタを募集いたします。

例えば市議会(町議会、村議会)議員などがこんな圧力かけてきた、とか、知り合いは議員さんの力でかなり無理な要望も実現しちゃった、とか、交通安全のためにここを改善してほしいと要望したのに、全然違う形で変なとこが変な風に直されちゃった、とか、新幹線内で国会議員を見かけたが、こんな変な言動をしていた、とか、この夏の衆院選挙でこんな変な候補がいた、こんな妙な選挙活動があった……などなど。
(マンガにする際、私の方でアレンジを加える場合もありますのであらかじめご了承下さい。)

ネタによっては、可能なら現場の資料写真なども添付していただけると大変助かります。
また、もし、「自分をこんな顔で登場させてほしい」というご希望がありましたら、お顔の特徴を書いて下さるか、ご自身で描いた似顔絵や写真を添付して下さってもかまいません。

投稿の期限は10月27日まで とさせて下さい。

投稿方法は、私宛てにメールで直接下さってもかまいませんし、もちろん「本ゆ」の投稿用紙(編集部にFAXか郵送)を使っていただいてもかまいません。

私宛てのメールアドレスはgokiki1357uaa@mail.goo.ne.jpです。
メールは、ファン交流掲示板の私の書き込みの、青字の名前(須賀原洋行)の部分をクリックしていただく方法(メール送信フォームが現れます)でも送れます。

あと、4コマの上の方につけるタイトルで「○○県○○さんの場合」というふうに県名と投稿者名を書きます。
投稿の際、ご在住の県名と投稿用のペンネームをメールに書いておいて下さい。

投稿ネタを採用させていただいた場合、1本につき1000円の謝礼 が出ます。
(謝礼が届くのは、掲載後3ヵ月くらいかかりますのでご了承下さい。)

ではでは、たくさんの投稿ネタが届くのをお待ちしております(^=^)。

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夫婦別姓制度を哲学する

夫婦別姓制度に反対だ。

理由は、子供が物心ついた時に、お父さんかお母さんのどちらかの姓になっているという状況に(子供の立場になって感情移入した場合)とても違和感を覚えるから。

子供はどんなふうに感じるのだろうか、想像してみた。

例えば、お父さんが田中、お母さんが鈴木で、子供は田中だとする。
その場合、子供は「ふ〜ん、そういうものなのかあ」と漠然と納得……

するだろうか?

たいていの子供は、まず最初に、「あ、ぼく、お父さん側なんだ」と思うんじゃないだろうか。
鈴木なら、「お母さん側なんだ」と。

中には、「えーーーっ?なんでお父さん(お母さん)側なの?どうしてお母さん(お父さん)側じゃないの?」と叫んで大泣きする子もいそうだ。

あるいは、どっちかの側になっていることがとてもいやな子とか。

「〜側」という日本語はまだ幼くて使えないかもしれない。
でも、それと同じニュアンスを心に抱くはずだ。
そして、どっちかの側になってしまっている自分に、とても偏った位置的感覚を持つはずだ。

日本が明確な父系社会、あるいは母系社会で、父親側(あるいは母親側)の姓になるのが当たり前の習慣があるのならいいだろう。
子供は徐々にその社会習慣に慣れていけばいい。

しかし、夫婦別姓制度の基本思想は個人主義だ。

男も女も対等な個人。
だから、どちらかの姓に統一する古き「家」制度はやめて、個人と個人がパートナシップを結ぶ対等な夫婦関係にするべき。
そういう考え方。

だが、「個人」というような考え方は、かなり成熟した大人でなければ本当の意味は理解できないし、責任を持って受け入れる覚悟を持つのは難しい、とても高度な思想なのだ。

それを、夫婦別姓制度は、小さな子供に強いるのだ。

「そっかあ、お父さんもお母さんもそれぞれ1人の個人で、自分の姓にアイデンティティ(自己同一性)を持ってて、だから別々の姓なんだ。ぼくはたまたま確率論的な次元でお父さん(お母さん)の姓になっているだけなんだ。よーし、ぼくはぼくで1人の個人として、たまたま与えられた姓を自分のものとして今後の人生を生きていこう」

なんて達観する幼稚園児・小学生がいるだろうか?

いるわけがない。

子供はお父さんとお母さんのいる「家庭」の中に生まれ、その関係性のなかに最初は埋没する感覚で参加し始めるのだ。

一番自然なのは、お父さんもお母さんも「○○」という姓で、自分もその中で生まれて「○○ケンタ」という氏名になった。
ぼくはお父さんとお母さんの子どもなんだ、という流れだろう。

それをぶっ壊すのが個人主義なのだ。

大人が大人の政治的な目的のために作った新興宗教的な、「個体を1つ1つ分断するための」思想が個人主義であり、まだとても社会的存在として「個人」たり得ない子供は、その思想に翻弄されるしかないのである。

 
じゃあ、夫の姓に妻が合わせる場合が大半の、従来の夫婦同性の常識を今後も維持していけるのかというと、それもまた疑問である。
もはやそれには限界が来ているので、夫婦別姓制度が国会を通りそうになっているのだろう。

しかし、夫婦別姓制度では不備があるであろう理由は既述してきた。

そこで私が提案したいのが「夫婦創姓制度」である。
実はこれ、夫婦別姓制度が最初に唱えられ始めた頃に、私は『気分は形而上』の中で「元木君」というキャラを使ってマンガに描いた憶えがある。(確認していないので、もしかしたら「榎田君」かも)

要するに、結婚したら、夫婦は統一した姓を2人で新しく作るのである。
2人の姓の一部ずつを足してもいいし、全く新しい姓を考えてもいい。
あるいは、どちらかの姓をそのまま使ってもいい。

戸籍は当然、結婚するたびに完全に新しく作ることになり、どっちの家系にも入らない。
みんな、結婚と同時に初代だ。
子供ができれば暫定的に二代目だが、子供が結婚すればまた新しい姓を創姓する。

簡単に言えば、個人主義に対抗して考え出した「家庭主義」である。
両親と子供からなる「家庭」。
これを社会の最小構成単位とする考え方。

個人主義は、最小構成単位が「個人」だ。

でも、「個人」単体じゃ、実は生きられないのだ。
みんな、誰かと関係して、その存在が確立し、保たれる。

無人島に、産まれたばかりの赤ん坊がポイと置かれて、自力だけで生き延びられるだろうか。
まず、100%死ぬだろう。

私達は仮に1人で生計を立て、一人暮らしをしていても、誰かが作った食材や食べ物を食べ、誰かが作った服を着て、誰かが舗装した道路を歩くのだ。

人のほとんどは他者の存在との関係の中でしか生きられないのだ。

「個人主義」はその当たり前の原理を根底から無視している。

本当は「関係」こそが原理なのに、関係を構成する要素に過ぎない「個人」を原理にしてしまっているのだ。

しかし、「個人」なんて、数学上の「点」に過ぎないのだ。
概念上はあり得るが、それだけだと誰にも見えないのだ。

少なくとも、点と点が結ばれて「線」(1次元)にならないと形にならない。
いや、線も概念上の産物か。

点と点と点が結ばれて三角形(2次元)になり、さらに高さが加わって立体(3次元)となり、さらにさらに時間による変化が加わって4次元にならないと、何一つ語れないのではないだろうか。

そこまで行けば、単なる数学的抽象概念を超えて、我々が生きている生の現実社会の有り様とリンクしてくるだろう。

私に言わせれば、夫婦別姓制度などというものは、0次元の「点」を崇拝する新興宗教を強引に現実社会に押しつけようとしている虚像的正義にしか見えない。

最初はただの「点」に過ぎない1人の男と女が関係して「線」となり、子供ができて「面」になる。
三者三様の個性が絡み合って奥行きを生み、立体となる。
立体は静止してはおらず、時間とともに変化し、成長する。
時間的変化を伴った3次元空間、すなわち4次元。
これが「家庭」である。

そこまで哲学的に考えられたなら、今度の夫婦別姓制度などは薄っぺらくて提出することすらためらうはずだ。
せめて、子どもを含めた2次元程度までには進化させてから、国会に出してほしいものだ。

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