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竹熊さんから反論をいただいた

竹熊さんから当ブログの「たけくまメモの欺瞞性」「たけくまコメントへの反論」に対して反論をいただいた。
「須賀原洋行氏のご批判について(1)」
「須賀原洋行氏のご批判について(2)」

しかし、これらは竹熊さんがこれまでに「たけくまメモ」で語ってこられたことの大まとめにとどまっているようだ。
私が抱いている「なぜ今のマンガ家と出版社、編集者によるマンガ出版システム(以下、「業界システム」と表記します)が『崩壊』するのか?」
「なぜ、今の業界システムが崩壊して『町のパン屋さん』システムに転換するのか?」
という疑問へのわかりやすくて納得の行く答えは見えないままというのが私の率直な感想だ。
(以下、竹熊さんの文章からの引用部分は赤文字で。出典はいずれも冒頭の2つの反論文から。)

須賀原氏は、さかんに「紙から電子メディアへ」と喧伝する一方で、メディアの担い手は古い紙メディアの人間が、紙メディアの組織そのままに電子メディアに移行するだけのイメージなのです。そんなことが実際に可能なのだろうか、と自分は思いました。
メディア(コンテナー)が変われば、それに載せるコンテンツも変わり、作り方や売り方も変わってくるのではないでしょうか。

う〜ん、どうしてこのような解釈をされるのかよくわからない。

そもそも、現行の「紙メディア」がどうして「古い」のだろう?
竹熊さんの反論はこの後もずっと、現行の業界システムはもはや古くてダメなもので、新しい「インターネットという黒船」に合わせた新システムに転換していけない人は「ノスタルジーやロマンティシズムを感じ」ている古い人、という大前提で話が続いていく。
だが、私の疑問は、そもそもどうしてそうなのか?なのである。

そして、私は「さかんに『紙から電子メディアへ』と喧伝」していたわけではない。
そもそも私が「業界システムは崩壊しない」といきなり言い出したわけでははなく、竹熊さんが「崩壊する」と喧伝していたので、それに疑問を持った私が、崩壊すると言うだけで根拠が示されていないと指摘したわけだ。
そして、その中で、景気が回復し、紙から便利な電子ペーパーに換われば何も問題はないという見解を示しただけだ。

そりゃもちろん、インターネットと電子メディアを使うことにより、マンガの表現手法もそれを生かしたものに変化していくだろうと私も思う。
マンガ家も編集者も新しいアイデアを一杯出していくに違いない。

でも、それがどうしていきなり、今の業界システムから、マンガ家とフリーのマンガ・プロデューサーの世界に転換し、出版社はダメになり、「町のパン屋さん」システムに転換してしまうのだろう?
そこがわからない、と私は言ってきたわけだ。

「人は、“かたちのあるもの(本やグッズなど)”にはお金を払うが、“かたちのないもの(デジタルデータ)”には払いたくないもの」だと思うからです。

それはまだ慣れていないだけかもしれないではないか。
例えば、人は音楽のコンサートや演劇、スポーツの試合などの鑑賞・観戦に行く。
観て、聴いて、感動、興奮して帰ってくる。
「かたちのあるもの」は持って帰れない。
でも、お金を払う。
生だから価値がある?
でも、映画館やフィルムコンサートなどにも人は足を運ぶ。

ネットだって、パソコン通信の時代はユーザーは当たり前に課金を受け、支払っていた。
課金制度が青天井制度だった時期には、月に10万円以上かかってしまっていた人も知っている。

インターネットは最初からコンテンツがどれもタダだったから、それで当たり前という感覚が根づいているのではないだろうか。
しかし、それでも、プロバイダ料金は支払っているわけである。

そして、何度も言っているが、今、ネット配信でマンガが売れないのは、やはりメディア自体の(従来のマンガファンが違和感なくマンガを読むための)ハード的な不便さが原因ではないだろうか。
繰り返しになってしまうが、簡易な電子ペーパーの普及で一気にマンガのネットビジネスでの様相が変わると私は思う。

自分は、従来の特定のプロ作者による作品の価値を否定するものではありませんが、ネット上の“詠み人知らずコンテンツ”の中には、旧来のプロでは絶対に作れない面白さと価値を持った作品があると思います。

面白いものがあることは私も認めます。
ただ、旧来のプロでは絶対に作れないというのはどうかな。
プロが息抜きに作れば、もっとすごいのがポンポン出てきそうに思えるけど。
竹熊さんがおっしゃっているのは「旧来のプロシステム」って意味だろうか。

で、竹熊さんは、だから今のプロマンガ家と出版社の編集者が作るマンガ表現はネットでは淘汰されてしまう、とおっしゃりたいのだろうか。
私は両者は干渉し合わないと思うし、そんな中で今のプロの安定した力量も逆に浮き立つと思うのだが。

「マンガ界崩壊を止めるためには」のエントリ(2)で引用したagehaメモさんのブログエントリが正鵠を射ていると思います。agehaメモさんは、雷句誠氏の事件に触発されて、従来のマンガ家と編集者との関係性を「モーレツ社員前提のフレームワーク」と規定し、このフレームワークを見直すべき局面に来ていること、を書かれました。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e699.html
↑マンガ界崩壊を止めるためには(2)
ここで注意すべきなのは、マンガ家にも編集者にも「モーレツ社員」を要求していた旧来のフレームそのものに、矛盾が内包されていたということです。しかしマンガが売れに売れ、右肩あがりの成長を遂げていた時代にはそうした「モーレツ」は美徳とされ、矛盾が表面化しなかっただけです。

ここに挙げられているエントリーを以前読んだ時の感想は、「雷句さんの事例を説明するのにはわかりやすいのかもしれないが、マンガ家と編集者の関係一般にあてはめるには無理があるなあ」であった。
読み物としては面白いけど、エキセントリックに語りすぎというか。
もっとゆるいフレームで信頼関係を築いているマンガ家と編集者は多いし、ましてやこれで「今の業界システムが崩壊する」という結論につなげるのは強引過ぎると思う。

そして、上記引用部が、どうして、

産業革命以前と以後では、時代が根底から変わってしまって、二度と元の時代には戻らないように、インターネット以前と以後では、マスコミのありかたも、ビジネス・スタイルも根底から変化して然るべきでしょう。

につながるのか不明である。
インターネットとどういう関係があるのだろうか。

須賀原さんのご批判を読んで、自分が感じるのは、伝統的な出版システムに立脚した作家と社員編集者の濃密な関係に対する強い思い入れです。
確かに過去の日本マンガ界は、作家と編集者の、時に常識を逸脱するほどの強い結びつきを「美徳」として発展してきた歴史があります。そこから多くの名作が生まれたことは事実ですし、これにノスタルジーやロマンティシズムを感じ、それを否定しようとする言説に対抗しようとする須賀原氏の気持ちはよくわかります。

強引に今の業界システムをもはや古いものであるとし、私がそれにノスタルジーを感じていることにされてしまっているが、そもそも私自身がそのような「濃密な関係」で編集者とやってきたわけではないし、私は25年間マンガ家をやっているが、私のデビュー時からすでに、

ポケットに辞表を忍ばせて命がけで作家を守ろうとする編集者もいなければ、作家の家に毎日通って台所で味噌汁を作ってあげる編集者もいませんし、〆切りを過ぎた巨匠の原稿を本人の目の前で免職覚悟で引きちぎる編集者

みたいな編集者は、絶滅危惧種程度にはいたのかもしれないが、私は見聞きしていない。
私が噂話で聞いたのは、当時のモーニングの編集長が新人社員の頃に手塚治虫(松本零士だったかな)の担当で、何日も徹夜で仕事場に詰めて待っていたけど、原稿が間に合わなくなったので激怒してうんたらかんたらみたいな昔話(今は考えられねー、といったノリで)くらい。

25年前の時点ですでに「過去のフレーム」だったのではなかろうか。
また当時からマンガ家の方も、担当編集者に「モーレツ」など期待していなかったと思う。

いずれにしても、竹熊さんはこの辺を語るのなら、直にたくさんの編集部、編集者、マンガ家に取材すべきではないだろうか。

何度も書きますが、私は「プロ編集者とプロマンガ家の切磋琢磨によるマンガ作り」が、消滅するとは思いません。ただ須賀原さんがおっしゃるような「出版社の社員編集者と、マンガ家」の関係ではなく、いずれは「フリーのマンガ・プロデューサーと、マンガ家」の関係に置き換わって行くのではないかと予想しているのです。

なぜ、このように関係が置き換わって行くのかがわからない。
経営上の理由で、出版社の正社員が編集プロダクションなどからの派遣社員や個人のフリー編集者にかなりの数置き換わっていくというのならわかるけれど、「出版社」がなくなって「フリーのマンガ・プロデューサー」まで飛ぶ論理が示されていない。

一応それらしき部分もある。

代わりに編集の現場には、正社員ではなく外部の編集プロダクション、および多くのフリー編集者が雇われ始めています。すでに20年以上前から、外部編集プロダクションへの委託は顕著な傾向にありましたが、私の知る限り、少なくとも大手では基幹雑誌の編集を外部に「丸投げ」するようなことはなかったと思います。(中小零細ではありましたが)。今では大手版元でも、外注依存の傾向が甚だしくなっています。たとえば小学館の「IKKI」のように、社員は編集長と副編だけで、残りは全員フリーランス、という現場も出てきました。

しかし、具体的に「丸投げ」の事例が示されていない。
「IKKI」は編集長と副編が正社員なのだから「丸投げ」にはあたらないだろう。
私が知っている事例は「コミックバンチ」くらいだ。
新潮社がコアミックスという編集プロダクションに雑誌作りを全て依頼しているらしい。
でもこれは新潮社がこれまでマンガ雑誌を本格的に作っておらず、社自体に十分なノウハウがないからではないだろうか。

そのくらいどの出版社も追い詰められているわけです。

とおっしゃるなら、たくさんの実例を挙げるべきではないだろうか。
人づてに聞いているだけで確認していないのなら、取材して確かな情報を蓄積してから書くべきではないだろうか。

ちなみに、「外部編集プロダクション」に関しては、私自身、マンガ家としてデビューしてから、モーニング、アフタヌーン時代の約20年間に10人の編集者に担当してもらったが(単行本だけの担当も入れればもっと増える)、そのうちのほとんどが講談社の社員編集者ではなく、銀杏社などの編プロから派遣されてきた契約社員である。
マンガ家3年目〜18年目くらいまで、ずっと私の担当編集者は編プロの人だった。
私の記憶では、モーニング・アフタヌーン編集部には社員編集者の3倍くらいの契約社員編集者が常時いたと思う。
それも、全部で40人以上いたから、契約社員は常時30人くらいいたことになる。
バブル全盛で右肩上がりの頃もそうだったのである。

いずれにしても、これが、竹熊さんの言う、従来のマンガ家・出版社・編集者による業界システムから「町のパン屋さん」的システムに置き換わっていくという主張も合わさると、ますますわからないものになる。

私が考えるに、マンガ家とフリーのマンガ・プロデューサー&「町のパン屋さん」システムはできるかもしれないが、それは今の業界システムに置き換わるのではなくて、結局のところ、「町のパン屋さん」から生み出された作品は、出版社による業界システム(今なら紙媒体、将来は電子ペーパーによる)に売り込みに行くことになるのではないか。

マンガ界は崩壊しても、マンガは残ります。

レトリックでおっしゃっているのだろうが、私から見ると詭弁ぽく感じてしまう。
マンガという表現手法だけが生き残っても、これだけで食っていけるマンガ家がほとんどいなくなったらマンガ界の将来は暗い。
「町のパン屋さん」システムだけでは、マンガ家やフリーのマンガ・プロデューサーを目指す人自体が激減すると私は予測する。
そのシステムではほとんどの人が食えないと思うから。
一生の職業にできそうになければ、若い人はそれを目指さなくなる。
趣味や副業ならあるかもしれないが。

旧来の映画館だけの「映画」という表現手法も、貸し本時代の「マンガ」という表現手法も、資本主義による企業(テレビ局や出版社など)によって生き残った。
これは「いったん崩壊」したわけではなく、うまく業界システムが時代に適応・変化したのだと解釈するのが自然ではないだろうか。
完全に崩壊して個人発信レベルに分散したわけではないのだ。

竹熊さんが「パン屋さん」を例に出したのは、意図があると推測する。
パンの場合、町の小さなパン屋さんの方が本物志向で、素材も厳選して、ちょっと高いけど本当にうまいパンを売っている、というイメージを持たせやすい。
地酒の蔵元やこだわりのラーメン店なんかもそうだ。
大企業が作る最大公約数的な、商業主義的な商品よりも質が高いというイメージを「フリーのマンガ・プロデューサーと、マンガ家が生み出すマンガ」に持たせようとしたのではないか。

しかし、マンガは違うと思う。
売れたものは面白いのだ。

儲けを最大限に引き出すために引っ張りに引っ張る連載もあるが、そしてそれは、毎回の作品にその作者の本当の力を完全に出しきれないかもしれないが、面白さのレベルは高いのだ。
だから売れるのだ。

もちろん、引っ張るのを拒否して連載を終えるマンガ家もいる。
でも、マンガ家は作品で生活しているのだから、商売としてのハイリターンをとことんいただきたいという人がいても全然おかしくない。
一生食える分を稼いで、それからゆっくりと好きなものを描くという選択だってある。

いずれにしても、「町のパン屋さん」のほうが傑作を生みやすいという保障はどこにもない。
これで生活していくとなったら、生き延びるために姑息な売れ線を狙うマンガ家が出てきても不思議ではないし。

よりたくさんのマンガ家が生まれ、それで生活していけるようなマンガ界を維持するためには、その頂点が高くてすごくて羨望の的じゃないといけないと私は思う。
大きな夢を見ることができる業界には才能が集まってくる。

例えば、プロ野球のシステムがなくなっても野球自体はなくならないだろう。
だが、草野球以外何もない世界ではイチローは生まれないだろう。
そしてイチローが出てくる世界だから、イチローを目指す子供がたくさん出てくる。
将棋界なら羽生がいるから棋士をめざす子供がたくさん出てくる。

独断と偏見で言ってしまうが、本当にすごいものは、競争原理の資本主義か、もしくは封建主義からしか生まれないと私は思う。

それを一生の職業にするプロがいて、プロ同士しのぎを削るプロ機構があって、初めて、プロでしか達し得ない高いレベルの作品が生まれるのだと思う。
将棋で言えば、大山や中原や米長や羽生、渡辺達の高度な棋譜はプロ棋界だから生み出し得たものだ。
縁台将棋から羽生と渡辺の去年の竜王戦のような棋譜は生まれない。
草野球ではイチローの打撃術は必要ない。

プロはみんなイチローや羽生にならないと、と言っているわけではない。
しのぎを削って最高レベルのスターが生まれる世界でないと、その世界全体のレベルが下がってしまうということだ。
そして、ほとんどが食えない状況になる。

頂点が下がれば山全体が小さくなり、すそ野も狭くなる。
その外側に広大な原野はあるかもしれない。
原野にはたくさん石が落ちている。
石の中には宝石も混ざっているが、見つけるのは困難。

竹熊さんの論からは(わかりやすい根拠や情報が少な過ぎて)、今のところ、こんなイメージしか私は描けない。

須賀原さんの場合、「マンガ愛」と「業界愛」がゴッチャに混ざり合っている印象を受けるのですよ。

そもそも、プロのマンガを語る場合、マンガと業界システムは一体不可分、というのが私の考え方だ。
竹熊さんは初めから「マンガ」それ自体と「業界」を分けて考えているから、竹熊さんから見て「ごっちゃにしている」ように見えるのだろう。

私を含め、今のプロのマンガ家達は業界システムなしには生まれていない。
「マンガ」も「マンガ家」も「マンガ業界システム」の構成要件の1つなのだ。

インターネットの出現によって業界システムの形が変容する、というところまではわかる。
だが、さんざん繰り返して申し訳ないが、なぜ今の業界システムが「崩壊」するのだろうか?
システム崩壊のわかりやすいメカニズムを竹熊さんはきちんと示しておられないのに、「崩壊」を連呼することに疑問がある。

ただ、ずっと業界システムは滅亡必至みたいに言ってこられた竹熊さんも、今回は反論(2)の最後の方でこうおっしゃっている。

崩壊する出版界にしても、編集者をフリー化して編集はすべて外部化したうえで、製作流通の窓口管理組織としての生き残りを図るでしょう。形を変えて再生はすると思います。

しかし、マンガ出版社が潰れずに生き残るのなら、それは「従来のマンガ業界の崩壊」とは言えないのでは?
こういう形で「編集者がフリー化」しても、それは「業界システムの崩壊」ではないのでは?

また、ノウハウを持っているマンガ出版社なら、今の「IKKI」のように編集長とデスクくらいは正社員を維持するのではないだろうか。
なぜいきなり丸投げの「窓口管理組織」に飛ぶのかわからない。

そして、今回の反論ではなぜかほとんど語られなくなってしまった「町のパン屋さん」論は、上記引用部とどう関係してくるのだろうか。

講談社、小学館などの大手出版社だけが生き残り、管理専門の会社となって、その中に「マンガ家とフリー・マンガプロデューサーが経営する町のパン屋さん」が一杯加盟する、みたいなイメージなのだろうか?
それだと、ローソンとかセブンイレブンのフランチャイズ方式と何も変わらないから、多分、そうではないのだろう。

竹熊さんの「町のパン屋さん」構想は結局のところ、「インターネット時代の新しいコミケの形」にはなり得るかもしれないが、従来の商業マンガ界のような、多くの人々が心奮わす面白いオリジナル作品を次々と生み出す優れた市場を構成するとは私には思えない。

優れた編集家がつけば大丈夫、と竹熊さんはお考えなのかもしれない。
だが、下手すれば「自称プロ編集家」がうようよいる状態にもなりかねない。

まあ、もし、今の出版社がみんな倒産して本当に業界がいったん崩壊すれば、かつて出版社でヒット作を生み出したような有能な編集者たちが仕事にあぶれ、フリーの編集家になるかもしれないけど。
でも、わざわざ崩壊させて集め直さなくたっていいじゃないか(笑)。

竹熊さんは編集家でありコラムニストであると同時に、大学でマンガ論を教える学者のお1人なのだから、「業界崩壊論」みたいな現実に影響を与えかねないものを公に発表するなら、もっと綿密に取材した上で客観的な論拠を固めるべきではないだろうか。
本当にわかりやすくてこちらも納得してしまうような理由が提示されるなら、逆に参考になる。

しかし、どうも、断片的な考えを思いつきレベルのままでどんどんネタとして出してしまっているような感じがする。
宇宙の誕生に関する理論物理学とかなら問題ないだろうけど、竹熊さんの論は、ブログのすごいアクセス数と相まって、マンガで生活しているプロのマンガ家や編集者に少なからず影響を与えるわけですよ。
だから怒ったのであって、「ノスタルジー」とか「業界愛」とかそんな方向にイメージ操作されると、またさらに怒らねばならないじゃないですか(苦笑)。

かなり長くなってしまいました。
竹熊さんに、これに対しての回答を特に要求するつもりはありません。(もちろん、反論は拒みませんし、こちらが回答を要求されれば応えます。)
多分、もうお互いに今の時点で言えることは全部言ってるんじゃないかと思います。
私は論争することを望んでいるわけではないし、あとは読む方々がそれぞれ判断すればいいと思います。
いずれ、現実が答えを出していきますし。

最後に、最初の私の過激で失礼な物言いにも関わらず、極めて紳士的な態度で反論を下さったことに感謝いたします。

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