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2009年8月

衆議院選挙、朝一番に行くと特典が

今日は衆議院選挙の投票日。
早起きしてしまったので、朝一番に投票所に行こうかな。

午前7時、投票所が開くと同時に入ると、最初の数人に投票箱の中を開けて見せてくれるそうだ。

「中は完全にカラッポですよ、いいですか〜?」

って、マジシャンみたいに。

で、最初に投票する人が、中が確かに空だったということを確認する書類にサインさせられるとかなんとか。

これは以前に『よしえサン日記』の読者投稿で送られてきた実話ネタなんだけど、自分の目では確かめてないので、ちょっと興味がある。

さてさて、前評判通りに民主圧勝で政権交代となるのか。
それとも、意外に民主が伸びなかったりということもあるのか。

どこをどう組み合わせても過半数が取れない事態になると面白いのだが。
共産党は絶対どことも組まないだろうからね。

共産党以外の党がどうくっつくか。
もしくは自民も民主も割れて、さらにピースが増えたりすると面白い。

小泉郵政選挙の時みたいに、たいした理念もなく、政策のこともろくにわかっていない新人議員が一杯当選して、その党が衆議院の絶対安定多数を握っちゃうというのが、今後の日本にとって一番不幸だと思うんだがどうだろうか。


追記。
今、投票に行ってきた。
7〜8分前についたから一番だと思ってたら、すでに2組が先に。
1番は小学生連れのお母さん。
ちゃんと選管の人が声をかけて、「1番の人には投票箱の中を確認していただきます」と言っていた。

子供はしきりにお母さんに選挙について質問していて、お母さんもしっかり答えていて、「写真、撮れるかな?」「頼んでみないと何とも言えないわね」とか会話してたので、子供の夏休みの自由研究に使うのかな?(かなりギリギリだが)

自分の身分確認と投票用紙をもらう手続きのところで前の母子と時間差ができてしまい、母子が箱を覗くところと書類に確認のサインをしているところは見れなかった……_| ̄|○
投票用紙と一緒に確認書みたいなのを渡されたのかな?

母子に直接取材する勇気がなかった私はヘタレです……_| ̄|○

しかし、あんなドサクサっぽく済ませてしまうとは。
10人くらい見てる前で「さあ、箱の中大公開」みたいにやるんだと思ってたのに……。

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竹熊さんから反論をいただいた

竹熊さんから当ブログの「たけくまメモの欺瞞性」「たけくまコメントへの反論」に対して反論をいただいた。
「須賀原洋行氏のご批判について(1)」
「須賀原洋行氏のご批判について(2)」

しかし、これらは竹熊さんがこれまでに「たけくまメモ」で語ってこられたことの大まとめにとどまっているようだ。
私が抱いている「なぜ今のマンガ家と出版社、編集者によるマンガ出版システム(以下、「業界システム」と表記します)が『崩壊』するのか?」
「なぜ、今の業界システムが崩壊して『町のパン屋さん』システムに転換するのか?」
という疑問へのわかりやすくて納得の行く答えは見えないままというのが私の率直な感想だ。
(以下、竹熊さんの文章からの引用部分は赤文字で。出典はいずれも冒頭の2つの反論文から。)

須賀原氏は、さかんに「紙から電子メディアへ」と喧伝する一方で、メディアの担い手は古い紙メディアの人間が、紙メディアの組織そのままに電子メディアに移行するだけのイメージなのです。そんなことが実際に可能なのだろうか、と自分は思いました。
メディア(コンテナー)が変われば、それに載せるコンテンツも変わり、作り方や売り方も変わってくるのではないでしょうか。

う〜ん、どうしてこのような解釈をされるのかよくわからない。

そもそも、現行の「紙メディア」がどうして「古い」のだろう?
竹熊さんの反論はこの後もずっと、現行の業界システムはもはや古くてダメなもので、新しい「インターネットという黒船」に合わせた新システムに転換していけない人は「ノスタルジーやロマンティシズムを感じ」ている古い人、という大前提で話が続いていく。
だが、私の疑問は、そもそもどうしてそうなのか?なのである。

そして、私は「さかんに『紙から電子メディアへ』と喧伝」していたわけではない。
そもそも私が「業界システムは崩壊しない」といきなり言い出したわけでははなく、竹熊さんが「崩壊する」と喧伝していたので、それに疑問を持った私が、崩壊すると言うだけで根拠が示されていないと指摘したわけだ。
そして、その中で、景気が回復し、紙から便利な電子ペーパーに換われば何も問題はないという見解を示しただけだ。

そりゃもちろん、インターネットと電子メディアを使うことにより、マンガの表現手法もそれを生かしたものに変化していくだろうと私も思う。
マンガ家も編集者も新しいアイデアを一杯出していくに違いない。

でも、それがどうしていきなり、今の業界システムから、マンガ家とフリーのマンガ・プロデューサーの世界に転換し、出版社はダメになり、「町のパン屋さん」システムに転換してしまうのだろう?
そこがわからない、と私は言ってきたわけだ。

「人は、“かたちのあるもの(本やグッズなど)”にはお金を払うが、“かたちのないもの(デジタルデータ)”には払いたくないもの」だと思うからです。

それはまだ慣れていないだけかもしれないではないか。
例えば、人は音楽のコンサートや演劇、スポーツの試合などの鑑賞・観戦に行く。
観て、聴いて、感動、興奮して帰ってくる。
「かたちのあるもの」は持って帰れない。
でも、お金を払う。
生だから価値がある?
でも、映画館やフィルムコンサートなどにも人は足を運ぶ。

ネットだって、パソコン通信の時代はユーザーは当たり前に課金を受け、支払っていた。
課金制度が青天井制度だった時期には、月に10万円以上かかってしまっていた人も知っている。

インターネットは最初からコンテンツがどれもタダだったから、それで当たり前という感覚が根づいているのではないだろうか。
しかし、それでも、プロバイダ料金は支払っているわけである。

そして、何度も言っているが、今、ネット配信でマンガが売れないのは、やはりメディア自体の(従来のマンガファンが違和感なくマンガを読むための)ハード的な不便さが原因ではないだろうか。
繰り返しになってしまうが、簡易な電子ペーパーの普及で一気にマンガのネットビジネスでの様相が変わると私は思う。

自分は、従来の特定のプロ作者による作品の価値を否定するものではありませんが、ネット上の“詠み人知らずコンテンツ”の中には、旧来のプロでは絶対に作れない面白さと価値を持った作品があると思います。

面白いものがあることは私も認めます。
ただ、旧来のプロでは絶対に作れないというのはどうかな。
プロが息抜きに作れば、もっとすごいのがポンポン出てきそうに思えるけど。
竹熊さんがおっしゃっているのは「旧来のプロシステム」って意味だろうか。

で、竹熊さんは、だから今のプロマンガ家と出版社の編集者が作るマンガ表現はネットでは淘汰されてしまう、とおっしゃりたいのだろうか。
私は両者は干渉し合わないと思うし、そんな中で今のプロの安定した力量も逆に浮き立つと思うのだが。

「マンガ界崩壊を止めるためには」のエントリ(2)で引用したagehaメモさんのブログエントリが正鵠を射ていると思います。agehaメモさんは、雷句誠氏の事件に触発されて、従来のマンガ家と編集者との関係性を「モーレツ社員前提のフレームワーク」と規定し、このフレームワークを見直すべき局面に来ていること、を書かれました。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e699.html
↑マンガ界崩壊を止めるためには(2)
ここで注意すべきなのは、マンガ家にも編集者にも「モーレツ社員」を要求していた旧来のフレームそのものに、矛盾が内包されていたということです。しかしマンガが売れに売れ、右肩あがりの成長を遂げていた時代にはそうした「モーレツ」は美徳とされ、矛盾が表面化しなかっただけです。

ここに挙げられているエントリーを以前読んだ時の感想は、「雷句さんの事例を説明するのにはわかりやすいのかもしれないが、マンガ家と編集者の関係一般にあてはめるには無理があるなあ」であった。
読み物としては面白いけど、エキセントリックに語りすぎというか。
もっとゆるいフレームで信頼関係を築いているマンガ家と編集者は多いし、ましてやこれで「今の業界システムが崩壊する」という結論につなげるのは強引過ぎると思う。

そして、上記引用部が、どうして、

産業革命以前と以後では、時代が根底から変わってしまって、二度と元の時代には戻らないように、インターネット以前と以後では、マスコミのありかたも、ビジネス・スタイルも根底から変化して然るべきでしょう。

につながるのか不明である。
インターネットとどういう関係があるのだろうか。

須賀原さんのご批判を読んで、自分が感じるのは、伝統的な出版システムに立脚した作家と社員編集者の濃密な関係に対する強い思い入れです。
確かに過去の日本マンガ界は、作家と編集者の、時に常識を逸脱するほどの強い結びつきを「美徳」として発展してきた歴史があります。そこから多くの名作が生まれたことは事実ですし、これにノスタルジーやロマンティシズムを感じ、それを否定しようとする言説に対抗しようとする須賀原氏の気持ちはよくわかります。

強引に今の業界システムをもはや古いものであるとし、私がそれにノスタルジーを感じていることにされてしまっているが、そもそも私自身がそのような「濃密な関係」で編集者とやってきたわけではないし、私は25年間マンガ家をやっているが、私のデビュー時からすでに、

ポケットに辞表を忍ばせて命がけで作家を守ろうとする編集者もいなければ、作家の家に毎日通って台所で味噌汁を作ってあげる編集者もいませんし、〆切りを過ぎた巨匠の原稿を本人の目の前で免職覚悟で引きちぎる編集者

みたいな編集者は、絶滅危惧種程度にはいたのかもしれないが、私は見聞きしていない。
私が噂話で聞いたのは、当時のモーニングの編集長が新人社員の頃に手塚治虫(松本零士だったかな)の担当で、何日も徹夜で仕事場に詰めて待っていたけど、原稿が間に合わなくなったので激怒してうんたらかんたらみたいな昔話(今は考えられねー、といったノリで)くらい。

25年前の時点ですでに「過去のフレーム」だったのではなかろうか。
また当時からマンガ家の方も、担当編集者に「モーレツ」など期待していなかったと思う。

いずれにしても、竹熊さんはこの辺を語るのなら、直にたくさんの編集部、編集者、マンガ家に取材すべきではないだろうか。

何度も書きますが、私は「プロ編集者とプロマンガ家の切磋琢磨によるマンガ作り」が、消滅するとは思いません。ただ須賀原さんがおっしゃるような「出版社の社員編集者と、マンガ家」の関係ではなく、いずれは「フリーのマンガ・プロデューサーと、マンガ家」の関係に置き換わって行くのではないかと予想しているのです。

なぜ、このように関係が置き換わって行くのかがわからない。
経営上の理由で、出版社の正社員が編集プロダクションなどからの派遣社員や個人のフリー編集者にかなりの数置き換わっていくというのならわかるけれど、「出版社」がなくなって「フリーのマンガ・プロデューサー」まで飛ぶ論理が示されていない。

一応それらしき部分もある。

代わりに編集の現場には、正社員ではなく外部の編集プロダクション、および多くのフリー編集者が雇われ始めています。すでに20年以上前から、外部編集プロダクションへの委託は顕著な傾向にありましたが、私の知る限り、少なくとも大手では基幹雑誌の編集を外部に「丸投げ」するようなことはなかったと思います。(中小零細ではありましたが)。今では大手版元でも、外注依存の傾向が甚だしくなっています。たとえば小学館の「IKKI」のように、社員は編集長と副編だけで、残りは全員フリーランス、という現場も出てきました。

しかし、具体的に「丸投げ」の事例が示されていない。
「IKKI」は編集長と副編が正社員なのだから「丸投げ」にはあたらないだろう。
私が知っている事例は「コミックバンチ」くらいだ。
新潮社がコアミックスという編集プロダクションに雑誌作りを全て依頼しているらしい。
でもこれは新潮社がこれまでマンガ雑誌を本格的に作っておらず、社自体に十分なノウハウがないからではないだろうか。

そのくらいどの出版社も追い詰められているわけです。

とおっしゃるなら、たくさんの実例を挙げるべきではないだろうか。
人づてに聞いているだけで確認していないのなら、取材して確かな情報を蓄積してから書くべきではないだろうか。

ちなみに、「外部編集プロダクション」に関しては、私自身、マンガ家としてデビューしてから、モーニング、アフタヌーン時代の約20年間に10人の編集者に担当してもらったが(単行本だけの担当も入れればもっと増える)、そのうちのほとんどが講談社の社員編集者ではなく、銀杏社などの編プロから派遣されてきた契約社員である。
マンガ家3年目〜18年目くらいまで、ずっと私の担当編集者は編プロの人だった。
私の記憶では、モーニング・アフタヌーン編集部には社員編集者の3倍くらいの契約社員編集者が常時いたと思う。
それも、全部で40人以上いたから、契約社員は常時30人くらいいたことになる。
バブル全盛で右肩上がりの頃もそうだったのである。

いずれにしても、これが、竹熊さんの言う、従来のマンガ家・出版社・編集者による業界システムから「町のパン屋さん」的システムに置き換わっていくという主張も合わさると、ますますわからないものになる。

私が考えるに、マンガ家とフリーのマンガ・プロデューサー&「町のパン屋さん」システムはできるかもしれないが、それは今の業界システムに置き換わるのではなくて、結局のところ、「町のパン屋さん」から生み出された作品は、出版社による業界システム(今なら紙媒体、将来は電子ペーパーによる)に売り込みに行くことになるのではないか。

マンガ界は崩壊しても、マンガは残ります。

レトリックでおっしゃっているのだろうが、私から見ると詭弁ぽく感じてしまう。
マンガという表現手法だけが生き残っても、これだけで食っていけるマンガ家がほとんどいなくなったらマンガ界の将来は暗い。
「町のパン屋さん」システムだけでは、マンガ家やフリーのマンガ・プロデューサーを目指す人自体が激減すると私は予測する。
そのシステムではほとんどの人が食えないと思うから。
一生の職業にできそうになければ、若い人はそれを目指さなくなる。
趣味や副業ならあるかもしれないが。

旧来の映画館だけの「映画」という表現手法も、貸し本時代の「マンガ」という表現手法も、資本主義による企業(テレビ局や出版社など)によって生き残った。
これは「いったん崩壊」したわけではなく、うまく業界システムが時代に適応・変化したのだと解釈するのが自然ではないだろうか。
完全に崩壊して個人発信レベルに分散したわけではないのだ。

竹熊さんが「パン屋さん」を例に出したのは、意図があると推測する。
パンの場合、町の小さなパン屋さんの方が本物志向で、素材も厳選して、ちょっと高いけど本当にうまいパンを売っている、というイメージを持たせやすい。
地酒の蔵元やこだわりのラーメン店なんかもそうだ。
大企業が作る最大公約数的な、商業主義的な商品よりも質が高いというイメージを「フリーのマンガ・プロデューサーと、マンガ家が生み出すマンガ」に持たせようとしたのではないか。

しかし、マンガは違うと思う。
売れたものは面白いのだ。

儲けを最大限に引き出すために引っ張りに引っ張る連載もあるが、そしてそれは、毎回の作品にその作者の本当の力を完全に出しきれないかもしれないが、面白さのレベルは高いのだ。
だから売れるのだ。

もちろん、引っ張るのを拒否して連載を終えるマンガ家もいる。
でも、マンガ家は作品で生活しているのだから、商売としてのハイリターンをとことんいただきたいという人がいても全然おかしくない。
一生食える分を稼いで、それからゆっくりと好きなものを描くという選択だってある。

いずれにしても、「町のパン屋さん」のほうが傑作を生みやすいという保障はどこにもない。
これで生活していくとなったら、生き延びるために姑息な売れ線を狙うマンガ家が出てきても不思議ではないし。

よりたくさんのマンガ家が生まれ、それで生活していけるようなマンガ界を維持するためには、その頂点が高くてすごくて羨望の的じゃないといけないと私は思う。
大きな夢を見ることができる業界には才能が集まってくる。

例えば、プロ野球のシステムがなくなっても野球自体はなくならないだろう。
だが、草野球以外何もない世界ではイチローは生まれないだろう。
そしてイチローが出てくる世界だから、イチローを目指す子供がたくさん出てくる。
将棋界なら羽生がいるから棋士をめざす子供がたくさん出てくる。

独断と偏見で言ってしまうが、本当にすごいものは、競争原理の資本主義か、もしくは封建主義からしか生まれないと私は思う。

それを一生の職業にするプロがいて、プロ同士しのぎを削るプロ機構があって、初めて、プロでしか達し得ない高いレベルの作品が生まれるのだと思う。
将棋で言えば、大山や中原や米長や羽生、渡辺達の高度な棋譜はプロ棋界だから生み出し得たものだ。
縁台将棋から羽生と渡辺の去年の竜王戦のような棋譜は生まれない。
草野球ではイチローの打撃術は必要ない。

プロはみんなイチローや羽生にならないと、と言っているわけではない。
しのぎを削って最高レベルのスターが生まれる世界でないと、その世界全体のレベルが下がってしまうということだ。
そして、ほとんどが食えない状況になる。

頂点が下がれば山全体が小さくなり、すそ野も狭くなる。
その外側に広大な原野はあるかもしれない。
原野にはたくさん石が落ちている。
石の中には宝石も混ざっているが、見つけるのは困難。

竹熊さんの論からは(わかりやすい根拠や情報が少な過ぎて)、今のところ、こんなイメージしか私は描けない。

須賀原さんの場合、「マンガ愛」と「業界愛」がゴッチャに混ざり合っている印象を受けるのですよ。

そもそも、プロのマンガを語る場合、マンガと業界システムは一体不可分、というのが私の考え方だ。
竹熊さんは初めから「マンガ」それ自体と「業界」を分けて考えているから、竹熊さんから見て「ごっちゃにしている」ように見えるのだろう。

私を含め、今のプロのマンガ家達は業界システムなしには生まれていない。
「マンガ」も「マンガ家」も「マンガ業界システム」の構成要件の1つなのだ。

インターネットの出現によって業界システムの形が変容する、というところまではわかる。
だが、さんざん繰り返して申し訳ないが、なぜ今の業界システムが「崩壊」するのだろうか?
システム崩壊のわかりやすいメカニズムを竹熊さんはきちんと示しておられないのに、「崩壊」を連呼することに疑問がある。

ただ、ずっと業界システムは滅亡必至みたいに言ってこられた竹熊さんも、今回は反論(2)の最後の方でこうおっしゃっている。

崩壊する出版界にしても、編集者をフリー化して編集はすべて外部化したうえで、製作流通の窓口管理組織としての生き残りを図るでしょう。形を変えて再生はすると思います。

しかし、マンガ出版社が潰れずに生き残るのなら、それは「従来のマンガ業界の崩壊」とは言えないのでは?
こういう形で「編集者がフリー化」しても、それは「業界システムの崩壊」ではないのでは?

また、ノウハウを持っているマンガ出版社なら、今の「IKKI」のように編集長とデスクくらいは正社員を維持するのではないだろうか。
なぜいきなり丸投げの「窓口管理組織」に飛ぶのかわからない。

そして、今回の反論ではなぜかほとんど語られなくなってしまった「町のパン屋さん」論は、上記引用部とどう関係してくるのだろうか。

講談社、小学館などの大手出版社だけが生き残り、管理専門の会社となって、その中に「マンガ家とフリー・マンガプロデューサーが経営する町のパン屋さん」が一杯加盟する、みたいなイメージなのだろうか?
それだと、ローソンとかセブンイレブンのフランチャイズ方式と何も変わらないから、多分、そうではないのだろう。

竹熊さんの「町のパン屋さん」構想は結局のところ、「インターネット時代の新しいコミケの形」にはなり得るかもしれないが、従来の商業マンガ界のような、多くの人々が心奮わす面白いオリジナル作品を次々と生み出す優れた市場を構成するとは私には思えない。

優れた編集家がつけば大丈夫、と竹熊さんはお考えなのかもしれない。
だが、下手すれば「自称プロ編集家」がうようよいる状態にもなりかねない。

まあ、もし、今の出版社がみんな倒産して本当に業界がいったん崩壊すれば、かつて出版社でヒット作を生み出したような有能な編集者たちが仕事にあぶれ、フリーの編集家になるかもしれないけど。
でも、わざわざ崩壊させて集め直さなくたっていいじゃないか(笑)。

竹熊さんは編集家でありコラムニストであると同時に、大学でマンガ論を教える学者のお1人なのだから、「業界崩壊論」みたいな現実に影響を与えかねないものを公に発表するなら、もっと綿密に取材した上で客観的な論拠を固めるべきではないだろうか。
本当にわかりやすくてこちらも納得してしまうような理由が提示されるなら、逆に参考になる。

しかし、どうも、断片的な考えを思いつきレベルのままでどんどんネタとして出してしまっているような感じがする。
宇宙の誕生に関する理論物理学とかなら問題ないだろうけど、竹熊さんの論は、ブログのすごいアクセス数と相まって、マンガで生活しているプロのマンガ家や編集者に少なからず影響を与えるわけですよ。
だから怒ったのであって、「ノスタルジー」とか「業界愛」とかそんな方向にイメージ操作されると、またさらに怒らねばならないじゃないですか(苦笑)。

かなり長くなってしまいました。
竹熊さんに、これに対しての回答を特に要求するつもりはありません。(もちろん、反論は拒みませんし、こちらが回答を要求されれば応えます。)
多分、もうお互いに今の時点で言えることは全部言ってるんじゃないかと思います。
私は論争することを望んでいるわけではないし、あとは読む方々がそれぞれ判断すればいいと思います。
いずれ、現実が答えを出していきますし。

最後に、最初の私の過激で失礼な物言いにも関わらず、極めて紳士的な態度で反論を下さったことに感謝いたします。

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甘味と香りバツグンの鶴岡産だだちゃ豆

Photo

読者さんから「だだちゃ豆」を送っていただいた。

「菅原貢」さんという生産者名がしっかり入った山形県鶴岡産のだだちゃ豆だ。
送って下さったのはご本人と奥様。

さっそく、袋に書いてある指示通りに茹でてみた。

・まずは少し水を入れた大きめのボウルにだだちゃ豆を入れ、ゴシゴシと強めに洗ってサヤの毛を落とす。
・鍋にたっぷりのお湯を沸かす。その際、塩を少々入れる。
・沸騰したらだだちゃ豆を投入。3分弱茹でる。
・茹で上がったら素早くザルにあけ、氷水にさっと通して熱を冷ます(変色を防ぐ)。
・あとは、水を切って、塩をふって出来上がり。

もう、茹でてる時から、いつも食べてるような冷凍枝豆とは全然違う香りがただよう。
ふわ〜〜っと鼻と喉の奥をくすぐるようなグリーンで甘い香り(表現が下手だ……)。

プチッとサヤを指で押して、豆を出してほおばる。
噛むと、さっきの香りが三倍増でふわあ〜〜っと口中に広がる。
いやいや、枝豆ってこんなに香りと風味が豊かなのか!

そして甘い!
せっかくだから塩も沖縄のちょっといいやつを使ったが、自然な塩味とだだちゃ豆の甘さが実に合う!
うまい!これは食べ出したら止まらんわ。
ビール飲むのも忘れて食べ続けてしまいました。

これでずんだ餅も作りたくなってしまった。
以前、スーパーの冷凍枝豆で作ったけど、あれでもけっこううまかったから、このだだちゃ豆で作ったら豆本来の甘さと風味がすんごいことになりそう。

いやいや、本当にありがとうございました。
また、エネルギーをいただきました!
仕事、頑張ります!

(追記)
宮城の蔵人さんからご指摘があり、「だだ茶豆」ではなく、「だだちゃ豆」とのこと。
「だだちゃ」の意味は、庄内弁で「お父ちゃん」だそうな。
お母ちゃんは「ががちゃ」だそうです。

完全に勘違いしておりました。
袋にも「だだちゃ豆」と書かれているのに、大ボケでした。
申し訳ありません。>菅原貢様、奥様
ご指摘感謝です。>宮城の蔵人さん

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テレビに出ている自分を観た

今日は地元CBCテレビの「イッポウ」に自分が出た回の放映日だった。

観る勇気が出ないので、一応録画だけしといて、全てを達観した老後にでも観るか、と思ったんだが、今日はちょうど同じ時間にNHK衛星第2で「勝負師2人 命がけの一手〜大山康晴と升田幸三」が放映されるという情報が。
これは永久保存モノなので、すぐに録画予約する。

となると「イッポウ」の方は自分でちゃんと観とかないと、なんか変なこと言ってたり変な物が映ってたりしてメールやファン交流掲示板とかで指摘されたら後でうまくイイワケできないし……。

てことで、必死の思いで観た。
 
 
 
思ったよりまともなことを言って(いるように編集されて)いた。

相変わらず発音がモゴモゴだが、テロップが出ているので、「空耳アワー」原理により、ちゃんとそのように言っているように聞こえる。

放映で使われている映像の多くは、いったんディレクター兼報道記者さんが、

「はい、どうも、ありがとうございましたー。これで撮影は終了です」

と言って終わり、その後に、

「もうちょっとだけ、気楽に雑談いいですか?一応カメラも回しますね」

と言われてしゃべった部分だった。


放映は全部で5分くらいだっただろうか。
私が例に出したサラリーマン新党の青木代表の国会質問なども、わざわざ映像を用意して挿入して下さっていた。
中日新聞で連載中のマンガも紹介されていたし、最近のコミックスも映っていた。
ホント、感謝感謝である。

CBCは以前にも、地元で有名な小堀アナが司会のラジオ番組にも出させていただいたけど、スタッフが皆さんとても感じが良くて、好印象の放送局である。
またチャンスがあれば出させてほしいなと思っている。

ただ、今回、自分の映像を観て、顔から首にかけての肉がはっきり増えていてガクゼンとした……。
ハンパない運動不足で、腹がカンペキメタボ状態なので焦ってはいたのだが、顔肉があんなに増えていたとは……。
鏡で観るいつもの角度では気づかないのだ。

これは隠せない部分なので、なんとしても落とさねば。
歩こう、毎日5キロは歩こう。

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たけくまコメントへの反論

私が書いた「たけくまメモの欺瞞性」を竹熊さんが読んで下さったみたいで、「たけくまメモ・コメント掲示板」で少しだけ感想が書かれていたので、私ももう少し自分の考えを書いておく。

既存の出版社によるマンガ出版システムは限界にきているのだろうか。
私はそうは思わない。

地球規模でのエコの問題、そして、それに伴って地球規模で産業構造が転換期を迎えていて、さらには金融資本主義で無茶をやるもんだから経済不安が加速して世界的な不況になっており、それが日本のマンガ出版界にも大きな悪影響を与えているのは確かだ。

しかし、これは紙に代わるマンガ向きの簡易な電子メディア(媒体)が生まれれば、少なくともマンガ出版界の不安は一気に解決に向かうと思う。
ちょっと前にこのブログでも書いたような、有機ELなどを使った持ち運びが簡単な電子ペーパーなどである。
A5くらいの大きさで、ペラペラの紙のようなディスプレイ。
それとiPodのような小型軽量のマンガプレーヤーを組み合わせて何百作ものマンガ作品がどこででも読めるようにする。

そうなると、既存の出版流通システムは変わるかもしれない。
取り次ぎが不要になり、既存の書店もなくなるかもしれない。

だが、出版社があって、マンガ編集部があって、マンガ家志望者が賞に投稿や持ち込みをし、シビアな競争を勝ち抜いてデビューを果たし、プロとなったマンガ家が毎回担当編集者と打ち合わせをし、必要なら編集者が取材をしたり資料を集めたりし、編集者がマンガ家のプロットやネームをチェックして掲載に至り、ページ数がたまれば単行本に……といったマンガ作品発表のシステムは変わらないのではないか。

この部分がなくなれば、商業としての娯楽作品の質は一気に落ちるだろう。
作家は客観的視点を持ちにくくなり、描けば描くほど独り善がり性を増していく。
そのうち、自分で何を描いているのかよくわからなくなってしまう。

同人誌の市場はずっと活況を呈している。
同人作家には編集者のチェックはない。
だが、売れているのはエロパロばかりであって、それを同好の士同士が買い合う、巨大なオママゴト市場である。
けっして、エンターテインメント作品の市場ではない。

オリジナル創作かつエンターテインメントとしての商業マンガは既存の出版社の発表システムなしには存続し得ないと私は考える。

つまり、出版社自体はなくなったりはしないのだ。
電子ペーパーが普及すれば、マンガ出版界はさらに活況を呈し、逆に出版社は増えるのではないか。

確かに竹熊さんがおっしゃるように「webというまったく異質なインフラが出現した」けれども、それが「既成の出版システムの限界が露わになった」にどうしてつながるのか、私には理解できない。

単に、ハードとしてのメディア(媒体)が、今のところ、既存の紙の雑誌や単行本に比べて不便というだけであって、そこさえクリアできれば問題はなくなるのではないか。
実際、ネットのブログで人気の出た個人の日記やマンガなどが、紙の単行本となって売れている例もある。

webのみで採算がとれないのは、システムの問題ではなく、ハードの問題ではないのか。

竹熊さんの言う「町のパン屋さん」方式のマンガ家個人商店があってもいい。
増えていってもいい。
それにも電子ペーパーは役立つだろう。

だが、それは、コミケなどの大規模同人誌即売会システムの限界を露呈させることにはなるかもしれないが、既存の商業マンガ出版にはさしたる影響は与えないだろうと推測する。

マンガ家個人商店と、出版社+マンガ家では、作品のエンターテインメントとしての質が段違いだからだ。
自称プロマンガ家と、競争を勝ち抜いてデビューした本物のプロマンガ家の、どちらの作品に読者は自分の財布からお金を出すだろうか。

それから、講談社のマンガ配信サイト「MiChao!」が撤退するのではという情報は私も小耳にはさんでいるが、それは内部事情によるものであって、けっして、講談社で最初にweb展開を始めた慧眼の人達がwebを見限ったわけではない。

何度も言うが、便利な電子媒体が生まれ普及すれば一気に状況は変わるのであって、出版社は今はしんどくても、絶対にwebに食らいついておくべきである。

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荒木三段の四段昇段待望!

日本将棋連盟の奨励会三段リーグに所属する荒木三段が、今、大きなチャンスを迎えている。

と言っても、かなりの将棋ファンじゃないと、いったい誰のことやら?だろう。

荒木宣貴三段は米長邦雄門下の23歳。
これまで、三段リーグではたいした成績をあげておらず、地味な存在だった。
あともうひと伸びがなければ、じきに26歳を迎えてしまい、規定により奨励会を退会してしまう1人なのかなあと思っていた。

しかし、今期第45回奨励会三段リーグ戦では、あと3戦を残して10勝5敗と、(順位は悪いが)もしかしたら昇段?というところまで来ているのだ。

私が荒木三段に注目しているのは、彼がNHK教育の日曜午前10時20分から始まる「NHK杯将棋トーナメント」の記録係として(私が一方的に)顔なじみだからだ。

他にも記録係はいるが、荒木三段は私にとって傑出して印象的だ。
私のマンガの「榎田君」(メチャクチャ頭がいいのだが、驚異のこだわり人間)にそっくりなのだ。
外見もそうだが、性格がまさにエノキダ的。

彼は、それが幸いしてか、将棋も(三段まで来るくらいだから)強いが、記録係としてもこれ以上ないくらい優秀だ。

対局する2人の棋士の横には、棋士の方を向いて荒木三段と棋譜読み上げ係の女流棋士が座っていて、棋士と係の間には長いテーブルがあり、その上に対局時計が載っている。

対局開始が告げられ、棋士同士が互いにお辞儀をした直後、荒木三段の右手が大げさに宙を舞って対局時計に伸びる。

カシャッ 

と大きな音を立てて、時計上部のスタートスイッチが押される。

スイッチを押した手が反動で跳ね上がるようにまた上に舞う。

番組中、終始無表情で、とても地味そうな彼がこのオーバーアクションをするのは、対局者に「時計を動かし始めましたよ。初手を指しても大丈夫ですよ」と知らせるためだ、と思う。

初手を指す際、多くの棋士は盤面の方を見つめて集中しているので、棋士の耳にスイッチ音を届けるとともに、棋士の視界の片隅にスイッチを押した自分の手を入れたいのだろう。

そこからもすごい。
対局時計の表側は、持ち時間15分ずつの経過具合を棋士に見せるため、当然棋士側を向いている。
しかし、荒木三段は必ず1回は時計をひっくり返して、針がちゃんと動いているかどうか確認するのだ。

そして、持ち時間が切れて、1分×10回の考慮時間もなくなると、いよいよ1手30秒の秒読み。
ここから荒木三段の人間らしさが表に出てくる。

普通の棋戦は持ち時間が切れると1手1分なのだが、早指し戦の30秒というのはプロでも相当短く感じられるらしい。
だから、「9」直前まで考えてあわてて指す棋士も多い。

荒木三段が発する「9」はすごく気持ちが出ている。
「8」までは機械のように淡々と読むのだが、ギリギリで指す時の「9」は力が入る。
「やめてくださいよ、もう。胃がキューッと縮むじゃないですか、キューッと」の「キューッ」なのだ。

棋士の負けが確定する「10」を読ませたら彼はどうなってしまうのだろう。

そして、私が一番注目しているのは、冒頭に書いたように彼の四段昇段、つまりプロ棋士昇格だ。
現在12勝3敗とかならブログで採り上げるのはやめようと思っていた。
ここから意識し過ぎて最後にポロポロッと落として昇段を逃す三段をたくさん見てきたから。

だが、現況は、開き直って3連勝が最低条件、後は運待ちって感じなので書いてみた。

私がブログで採り上げさせていただいた竜王戦の渡辺竜王フリクラ突破間近の瀬川四段は、私の希望通り、逆転4連勝で永世竜王獲得・順位戦棋士昇格を果たしている。
言わば、私の勝手なゲンかつぎだ。

荒木三段が晴れて四段に昇格したあかつきには、私はぜひとも彼がNHK杯の予選を突破してテレビ中継のある本戦へと進んでくれることを念願している。

対局者はどちらかが投了を告げるとお互いにお辞儀をする。
そしてその直後に読み上げ係が「まで。○○○手で△△七段の勝ちでございます」とか言い、対局者に向かって深々と一礼する。

その際、棋士の方は対局者同士向き合ったままで、記録・読み上げ係の方には一瞥もくれない。

だが、荒木四段だけはきっと、体をしっかり2人の係の方に向き直し、深々と心を込めてお辞儀を返すに違いない。

私はその瞬間を観たら泣くかもしれない。

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おがわの自然酒

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先日のテレビ取材の際に、記者さんからいただいたお酒。
「おがわの自然酒」純米吟醸生酒(晴雲酒造)

埼玉県比企郡小川町の蔵で、「地元有機農業農家と晴雲酒造が20年にわたって育んできた」お酒だそうな。

いやいや、これはうまい。
口に含むと、とろみを感じるくらい芳醇。
米のうまみがよく出ていて、キレもバツグン。
米の質が良いせいか、雑味は微塵も感じられない。
ノドを通る際に何の引っ掛かりもないので、油断してると1本スルスルと飲み干してしまいそう。

ありがとうございました。>報道記者さん

この記者さんもやはり大の日本酒党で、このお酒はご自身が定期的に通販で手に入れておられる中の1本とのこと。
取材を受けてよかった(笑)。

追記。
このお酒の飲み方は常温がベスト。
説明書きには「冷やして」に○がついていて、「常温」は×になっているが、冷やすとうまみと甘味と芳醇さが減ってしまう。(冷やしたのを飲んで確かめた)
保管は冷蔵庫で、飲む前に5〜6時間、部屋の暗い所で放置して常温で落ちついたあたりがベストタイミングだと思う。
びっくりするくらい味が表に出てくる。

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コミックパークのご紹介

このブログで紹介したつもりで紹介してなかったオンデマンド配信のサイトをリンクしておきます。
コミックパークという、絶版コミックスを1冊の注文からでも印刷してくれるサイトです。

私の作品は『気分は形而上』全19巻が配信されています。
初期の4コマとか『ゴキちゃん』(モーニング版)の第1話も試し読みできます。
ひとつどぞよろしく。

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CBCテレビの取材を受けた

今日は午後から地元のCBCテレビの取材があった。
報道部の人とカメラマン、ADさんの3人が仕事場に。
夕方からのニュース番組『イッポウ』のコメント収録である。

報道部の人は、以前、松坂屋南館オルガン広場で公開放送されていた「カトレヤミュージック」に私がゲスト出演した時のアナウンサーさんで、今は報道記者として活躍しておられる。

取材の依頼を受けて、きのう、おとといと、足の踏み場もない状態の仕事場を片づけていた。
ほとんど大掃除状態。
腰と太ももが痛い。

取材内容は今度の総選挙がらみ。
東海地方で活躍するオピニオンリーダー達に選挙の注目点などをインタビューして回り、お盆過ぎあたりにまとめて放送するそうだ。

いや〜〜、ははは……
やっぱりカメラの前で固まってしまった……_| ̄|○

脳ミソの中の、何とか動いている一部分を必死に使って、ある程度用意しておいた回答を必死にしゃべったが、自分で脈絡がよくわかってない状態。

ううう……今度こそは、せめて発音くらいはっきりクッキリ明瞭にと思ったのに、そこまでエネルギーを回す余裕なかった。
モゴモゴでごみんなさい。

ブログのために写真撮ろうと思ってたのに、すっかり忘れてるし……。

放映日はヒミツです、ええ。
家族は録画すると言ってますが、妨害工作します。

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たけくまメモの欺瞞性

7月31日の「たけくまメモ」と、そこにリンクされている伊藤剛氏の記事を読んだ。

最初にはっきり感想を言ってしまえば、「ひどい」の一言だ。

竹熊氏はこれまでブログで何度となく「マンガ出版界の崩壊」について言及してきた。

だが、少なくとも私にとっては、説得力のある根拠は示されていない。
氏のブログを何度読み返しても、全然納得する根拠を見出せない。

私は、単に、日本の構造的な経済不況が原因であって、景気が本格的に回復すれば、またマンガ出版は盛り返すのではないかと思っている。

いや、確かに、紙の雑誌、紙の単行本に関しては、地球規模のエコの問題が深刻で、未来は明るくないかもしれない。

しかし、各出版社はそこを楽観視して何も手を打っていないかというと、そんなことはない。

20世紀末〜21世紀初頭の段階から、大手も中堅以下も、出版社はネット配信による新たなマンガ出版の道を探り始めていた。
そこに目をつける慧眼の編集者がちゃんといたのだ。

講談社は1999年に「Web現代」を立ち上げ、それが2005年に「MouRa」としてリニューアル。
私が『けつちゃん』を連載させていただいた「MiChao!」の「ピテカントロプス」は「MouRa」の中に入っていた。

竹書房はいがらしみきおの『Sink』をWeb連載しているし(2001年)、現在は「まんがライフWIN」などもスタートしている。
小学館は「ソク読みサンデー」(現在の「クラブサンデー」)を2008年に立ち上げている。

ネット配信の電子書籍(単行本)は「ebookjapan」だとか、「Renta!」などがあるし、ネットで注文すれば1冊から刷ってくれるオンデマンド配信講談社「KCオンデマンド」などもある。

私が知らないだけで、まだまだ他にもたくさんあるだろう。

とにかく、各出版社はすでにネットでのマンガ出版の道を探り続けているのだ。
しかも、ネット配信はほとんどが赤字であり、ネットだけでは全然儲けが出ないのだ。
それでも、近未来のマンガ界のためにネットに先行投資してきたのだ。

しかし、不思議なことに、竹熊氏はこういった既存の出版社によるネット配信システムについてはほとんど触れようとせず、ひたすら「マンガ出版界の危機〜崩壊」を言い募り、「ネットで個人が『町のパン屋さん』のような出版社」(の時代が来てもおかしくない)みたいな記事を書く。
従来の出版社の編集は不要で、編集エージェントがマンガ家と組んで(ネットメディアとのコラボも含む)企画を売り込むような時代が来る、といった記事を書く。

7月31日の記事では、以前は「『マンガ界』はこのままでは崩壊するからなんとかしなければ」と思っていたなどと書いているが、ではなぜ、その時に、上述のような既存の出版社によるネット配信の試みについて詳しく言及し、それを応援する態度をブログで示さなかったのか。

あれだけアクセス数の多いブログなのだから、どんどん紹介していくだけでもそれなりに効果はあったはずだ。
ブログからリンクしてすぐに飛べるようにすればよかったのではないか。

伊藤剛氏の記事はもっとひどい。
モーニングに関する部分は全て憶測である。
記事の中では「それが佐藤氏の言葉である以上、事実として扱うのにはいささか問題があるが」とか「講談社側のこの言葉が仮に事実だとするのならば」などエクスキューズを連発しながら、佐藤氏の側に立ってやはり「マンガ界の危機」を煽っている。
評論家を名乗るならば、そして大学で教鞭を取る立場ならば、直接モーニング編集部に取材するという最低限の過程を踏むべきではなかったのか。

はっきり言おう。
お二人とも、事実を意識的に無視して、自分に都合のよい視点から煽り立てることで、自分のメシのタネにしてるだけじゃないの?

佐藤さんのように自分で作品を作って勝負する人については最終的には応援したくなるが、ハゲタカのように周囲にいて、ターゲットが弱った時を見計らって食い物にする輩は心底軽蔑するだけだ。

あなた方の極めて私的で浅薄な視点からの煽りがマンガ出版界やそこで食っているマンガ家達にいかにマイナス効果を与えるか、じっくり考えてほしい。

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