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新聞記者はフィクサー志望?

産経新聞の福島香織記者が書いている「記者ブログ」が面白い。
特に1月23日の記事は興味深かった。
中でも、ここ。
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■ というわけで、政治部記者の中にはみずからを、政治のプレーヤーの一員だと思う人もいる。麻生首相のバッシング報道がいちばんさかんだったとき、某新聞社の記者がこんなセリフをいっていた。「ここまできても麻生政権を解散に追い込めない今の政治部記者はなさけない。昔の政治部記者なら、今頃麻生政権は解散になっていた」。報道の力によって支持率を上下させたり、内閣を解散させたり、すきな政治家を首相に押し上げたりやめさせたりできる、そういう影響力の行使こそ、政治部記者の醍醐味、といいたげである。是非論はともかく、権力ゲームの片棒をかつぐ、あるいはフィクサーになることを望む、そういう政治部記者が存在することは確かだろう。
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政治を動かす力の一端になりたいという心理はわからないでもない。選挙の1票じゃ、あまりにも自分と政権との距離は遠い。
でも、新聞は(テレビの報道も)社会の公器であって、フィクサー的なシステムとして使うのはおかしいだろう。国民の大半がマスコミと野党の論調に同意できている状況ならまだしも、例えば報ステの古舘伊知郎キャスターやその隣にいるコメンテーターの、あのあからさまな印象操作願望丸出しの言い分にほぼ全部「うん、うん」とうなずける人は視聴者の1割もいないんじゃないだろうか。

政権の方がはっきり間違っていて、マスコミと野党がそれを是正してくれるという図式が成り立っているのならいい。
だが、私には今の状況は逆に見える。

例えば去年、アメリカの経済が一気に破綻したのを受けて、麻生総理が定額給付金他の緊急経済対策を出した。
定額給付金に対して、最初のマスコミの反応は「ばらまきだ」「金持ちにも配るのか」だった。
そこで、政府がその声に対応して所得の上限を設ける案を出す。
そしたら今度は「地方自治体の事務作業が大変だ」と言い出す。日頃は公務員に対して「お役所仕事」だの「税金ドロボー」だのと批判しているのに、こういう時だけ公務員の肩を持つ。
「全所帯に配る」と政府が当初の方針を貫くと、今度は「ぶれまくる麻生」などと言う。

もし、最初からマスコミも野党もゴチャゴチャ言わず、潔く今は100年に一度の国難なのだから自分たちが折れよう、と麻生総理の出した対策をとりあえずは肯定して、次々とスムースに実行されていたら、日本経済は今よりましになっていたのではないだろうか。マスコミが揚げ足取りばかりしてダメだダメだと騒ぐから株価もどんどん下がったのではないか。本当に大事な時は政権を持ち上げろ。それができないなら黙ってろ。

それじゃ戦前の「大本営発表」と同じだとマスコミも野党も言いそうだが、国民のためにプラスになる場合は何の問題もないじゃないか。

政権交代はその後でも十分可能だ。麻生がアホタレだってことはみんなわかっている。国民はアホじゃない。
そろそろ限界だ。1回替えてみよう。政界大再編させてわかりやすく組み換えたい。そう思っている。

しかし、今のマスコミ・野党は、国民が経済的にますます窮地に追いつめられようとも、むしろそれすら利用してここは何としても政権転覆だ、と政治ゲームに意気込んでいるだけのように見えて仕方がない。
それだけ日本はまだまだ豊かで余裕があるということか。だったらそれもこれまでの自民党政治の貯金ではないのか。

ただ、不思議なのは、これまでに私が会ったことのある新聞記者やテレビマン達は皆、さほど左翼っぽくはなかったことだ。皆さん、とても客観的に政治を見ていて、中には紙面の論調に反してかなり右寄りの人もいた。
これも福島記者のブログを見て氷解した。新聞もテレビも最終的に表に出る論調は偏っていても、その裏には当然のごとくいろんな考え方の社員がいて、その中でパワーゲームがあるのだ。

しかし、それでいいというわけではない。
新聞記事もテレビのニュースも、極力、記者やディレクター、キャスターなどがバイアスをかけないことを心がけてほしい。社説やコメンテーターの主張は両論併記に。あとの判断は国民にまかせる。

これまではマスコミそのものを根本から批判できるマスコミはいなかった。
でも、今はネットがある。
もうみんなマスコミの欺瞞性には気づき始めている。
そこにいち早く対応してチェンジできるマスコミやマスコミ人だけが生き残れるのだと思う。

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