永井均氏への反論
いつか機会があったら、ちゃんと反論したいなと思っていたことがある。
もうだいぶ経ってしまったので、「何を今さら」って感じだろうが、せっかくブログを立ち上げたことだし、書いてみる。
哲学者永井均氏の『マンガは哲学する』という本に関してだ。
アマゾンで調べたら、この本が出たのは2000年2月なので、もうずいぶん前だ。
当時、ファンの人からメールをもらい、この本の中で私のマンガが(というかマンガ家としての私が)けなされているということを知った。そこで、書店に行ってまずはその部分を立ち読みしてみた。結局、(ムカついて)買わなかったので、以下は立ち読みした時の記憶で(それとアマゾンの「商品の説明」の文章を参考にして)書く。
アマゾンにある「「まえがき」より抜粋」によると、
「私がマンガに求めるもの、それはある種の狂気である。現実を支配している約束事をまったく無視しているのに、内部にリアリティと整合性を保ち、それゆえこの現実を包み込んで、むしろその狂気こそがほんとうの現実ではないかと思わせる力があるような大狂気。そういう大狂気がなくては、私は生きていけない。その狂気がそのままその作者の現実なのだと感じたとき、私は魂の交流を感じる。それゆえ、私がマンガに求めているものは、哲学なのである。」
とある。
この永井氏の考え方に基づき、「「哲学の大問題」を45の作品を題材に、面白い哲学の第一人者が解説する」というのが、この本の主旨なのだろう。
で、45の作品の中に吉田戦車の『伝染るんです』が採り上げられていた。
たしか、「吉田戦車のマンガの中には狂気がある。作者自身は意識していないが、マンガが自然に哲学している」みたいな感じでほめていたと思う。
これには私も同意だ。私も吉田戦車のマンガが好きで、『伝染るんです』は毎週スピリッツで楽しみにしていた。
でだ、永井氏はその吉田戦車の無意識に作品からにじみ出る哲学性を評価するために、対比として私の『気分は形而上』第1巻の中の4コマの1本を引き合いに出していた。添付した「即自存在とは?」がそれである。
これへの永井氏の評はたしかこんな感じだったと思う。
「哲学科の学生のレポートのレベル。全く哲学していない。いかにも哲学っぽく見せているが、あざとくて安っぽい作品」
ひどい言われようだなあ、と思った。
批判されるのはいい。どんな酷評でも、それが的を射ていれば、「くそー」とは思うが、発奮材料にはなる。
でも、この批判は、これ自体が実にあざといやりかたであり、永井氏は全然わかっていないな、と思った。いや、多分、わかっていて、吉田戦車をほめるための単なるわかりやすい対比材料として私のマンガを利用しただけなのだろう。
「即自存在とは?」は最初から「哲学をマンガの題材に使おう」としたものである。
あの作品は私が1984年冬にモーニングで連載デビューしてから4回でいったん打ち切りになるまでに描いた、多分プロになって10本目以内くらいのものだと思う。(その3ヵ月後に同じタイトルで再新連載となった。)
福井から名古屋に出てきて公務員をやりながら、とにかくマンガ家になるために、何か自分の売りはないかと探していた。しかし、売りといっても、何か特殊な人生を歩んできたわけでもないし、突飛な体験とかもない。ほんの少しだけ珍しい(珍しくもないが)経歴といえば、大学の哲学科卒くらいのものだ。
売りになるかどうかもわからないが、マンガの題材に哲学を取り入れてみようと思った。
「マンガで(自然に)哲学する」のではなく、「哲学をマンガにする」というのを狙ったわけだ。その頃はそういうマンガはメジャー誌ではほとんどなかったと思う。
そりゃ、理想は、「マンガで(自然に)哲学する」だ。私もマンガ家になるなら、一生かけてそんな作家になりたいと思っていた。でも、それはいっぺんに達成できるものではなく、しかも作家が意識してできるものでもなく、読んだ読者が感じるものだ。
私があの頃、狙ったこと、やったことは、例えば「会議室芸人」がテレビや舞台デビューを目指して必死に自分の売りを見つけること、アピールすることだった。まずはそうしないとマンガ界に混ぜてもらうことすらできないじゃないか。そのための手段が、大学でかじった哲学だった。
おかげさまで作品は編集者の目にとまり、名古屋からのマンガ賞投稿で一度も編集者と話したことがないのにいきなり佳作に入賞することができて、そのまま連載までいただけた。
「即自存在とは?」は85年の1月あたりに考えて描いたものだと思う。吉田戦車の『伝染るんです』はもっと後だ。85年頃のスピリッツは私の記憶では高橋春男の『ブラック&ホワイト』か相原コージの『コージ苑』あたりじゃなかったかな。『伝染るんです』は90年代ではないだろうか。
なんで、わざわざ5年以上前の、それも私が駆け出しの頃の作品である「即自存在とは?」1本だけを持ってくるのか。2000年には私もそれなりに作品数があったわけで、哲学の本で批評の対比材料として私というマンガ家を使うなら、せめて『気分は形而上』全19巻や『非存在病理学入門』くらいは読んでからやってほしかった。
永井氏はそれでも「即自存在とは?」1本だけを引き合いに使っただろうか。
自分の名誉に関わることなので、あえて手前味噌で言わせてもらうが、最初から意図したわけではないのに結果的に作品が自然に哲学した、という作品は私にだっていくつかあると自負している。例えば2000年当時で言えば、『気分は形而上』の中の「けつちゃん」や「うしとり」「ゴキちゃん」「実在OL」「榎田君」「元木君」などのシリーズ、『非存在病理学入門』の中の「OL社長」や「愛しのコピ代」シリーズなど。
実際、上で引用した「まえがき」抜粋のような感想を読者の方々からもけっこういただいた。
推測だが、永井氏は『気分は形而上』の1巻の最初の方しか読んでおられなかったのではないか。タイトルに「形而上」なんていかにも哲学ぶった言葉が入っているし、著者の経歴には哲学科卒とあるし、これ、悪い見本に使ってやれ、程度の使い方をしたのではないだろうか。
ちゃんと読んでいただいた上で「魂の交流を感じ」てもらえないとすれば、それはしょうがないことだが、なんかあの批評(の引き合い)の仕方は納得いかないのである。
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